ホツマツタヱ史学研究会 設立趣旨
ホツマツタヱが、初めてな方へ
下記に、〇写本 復刻版ホツマツタヱ版、または、〇ホツマツタヱ - 国立公文書館 デジタルアーカイブ (吉田編集版)を準備しましたのでクリックしてご覧下さい。
ホツマの世界 ホツマツタヱ史学研究会 設立趣旨 New !! 注記、スス暦の西暦年代への換算は、ホームページ「(1)ホツマツタヱ暦学講座」 (2)「日の神(天照大御神)の誕生と新紀年の設立」 を引用しました。
2017_10_28 付_改 1
2013_11_11 付
ホツマツタヱ史学研究会 設立趣旨書(案)
ホツマツタヱ史学研究会 吉田六雄
アスス暦が太陰太陽暦であることを近代的な暦法により計算し、「ヱトが動くと日が変わる」ことを立証し、且つ、スス暦、アスス暦を太陽暦でホツマツタヱを歴史書と証明した研究の総称を「ホツマツタヱ史学」と称する。
会の名称 ホツマツタヱ史学、ヲシテ学を用いて古代の多くの神話を、より一層に歴史の史実として研究する会の名称を「ホツマツタヱ史学研究会(略称:ホツマ史学)」と称する。 会の講座名
ホツマツタヱ史学研究会 講座 (旧名称:ホツマ講座)
主旨
故松本善之助氏によりホツマツタヱが再発見されてから、2016年8月で、50年になります。その間、ホツマ研究家の各分野において、研究成果が発表されるまでに至りました。特にホツマ暦の研究の分野おいては、古代暦法が論理的に研究されて、著しく進展を見ておりますが、これもホツマツタヱの全体の研究より見ると、散発的であり、研究者の間で議論となるが、初学者にはわかりにくかったようです。
一方、100年後のホツマツタヱの研究を展望しますと、ホツマツタヱを国民的に認知させる活動が必要になってきます。そのためには、学問としての論理体系を明確にし、研究効率・議論の明確さ、大勢の初学者の参加を可能にするため、次のように、論理体系(案)を具体的にした。今後、益々国民の叡智が得られれば、更なる多分野の研究により文献考古学の研究が深まるものと思っております。
研究体系(案)
・統治形式に関する論(統治体制・制度論・外交・治安維持)・・・朝鮮との交流
・文化的な領域に関する整理(信仰・建築・記録様式・生活習慣・芸術・思想史)・・・新治宮の建築
・経済システムに関する整理(地域間交易・交通・生業)
・環境(古地理・海岸線・山岳・河川湖沼・植生・動物・気候 等)・紀元前のハラミ山(富士山)噴火
・暦(古代暦法など)・・・・・スス暦、アスス暦(日本書紀暦)の解読
・考古学との対応・・・・・・・稲作(ゾロ)の開始時期、銅鐸の比較
備考(補足)
ホツマツタヱは、総合的な歴史書の感があるが、現在は偽書の汚名があるため、市井の研究者に偏っている。だが昨今の国民の潮流は、「何が正しいか、否か」を求めている。日本書紀などの編集者が紀元720年に日本書紀をまとめたが、ホツマツタヱと日本書紀を対比すると、多くのホツマツタヱの資料が日本書紀には、偏って採用されている。当時の編集者の知識不足とは云え、多くのことが含まれるアマカミ(天神)、アマキミ(天君)」、スメラギ(天皇)の御代は、一括して神代部にされ、ホツマの古代暦法(スス暦)は、未採用である。このことに鑑み、国民的な見地に立つと、一度は偽書の汚名で呼ばれたホツマツタヱかもしれないが、新たに21世紀の若者に門戸を開放し、古代日本に対し、正しい評価の機会を提供するのが、市井の研究者の責務と思う。そして、ホツマツタヱ再発見から100年に向けての研究が必要であろう。
研究成果
ホツマツタヱ史学研究会独自に書籍番号を取得し、市井に、書籍、hpなどで発表 最近の書籍 書籍の多くは、ホツマ暦の解読本になる。だが、ホツマ文の解説、ミカサフミの解説、フトマニの解説本も発行しております。特記としては、2023年に発行した「日の神(天照大御神)の誕生と新紀年の成立」は、好評てであり、庁図書館、京図書館で、蔵書の審査中です。 ホツマツタヱとは、 ホツマツタヱは、紀元前1000年頃(縄文・後期)~紀元262年頃(古墳・前期)までのアマカミ(天神)、アマキミ(天君)、スメラギ(天皇)の歴史・文化をヲシテ(オシテ)文字にて、今に伝える古文献です。 また、現在に残される写本は、五七調にて、法呈文、1~40アヤ(綾)の全1万行の10万文字にも及ぶ大作です。編者は、1~28アヤ(綾)までを ワニヒコ(クシミカタマ、ウガヤ時代のツルギ大臣)、後半の29~40アヤ(綾)までをスエトシ(オオタタネコ、景行天皇時代の三輪の臣)になります。 ヲシテ学 ヲシテを学問の基本に置き、ホツマツタヱ、ミカサフミおよび、フトマニを学問的に研究することをヲシテ学と云い、解読ヲシテ学と原語ヲシテ学より構成される。ヲシテの表記は、ヲシテ文、カナ文、読み下し文となる。ヲシテ字体は安聰本似を標準として使用。
(ご参考)
ヤマトコトバ、呉語、漢語を併記する場合は、識別として呉語、漢語を、後( )内に表記する。また、ヤマトコトバ、呉語、漢語の有無の判断は、漢和大字典(藤堂明保編)の利用は有用である。
東京の松本善之助氏は、昭和41年8月神田の古本屋で、四国の「小笠原長武」氏が写本した「ホツマツタヱ」三冊を買い求めたことより、近代的な「ホツマツタヱ」の研究が始まりました。更に、ホツマツタヱの研究のルーツを求めますと、四国の宇和島、琵琶湖の畔の高島町で研究されていた経緯があり、江戸時代の後期まで遡ることができるようです。このホツマツタヱの特長を優しく述べると、現在では「神話」として扱われているが、イザナミ、アマテル、神武天皇、ヤマトタケなどが、ヲシテと云う文字で記述されており、その文体も、大和言葉に近く、四十八文字の「ヲシテ」を諳んじると、和歌や短歌を朗読するのと同じ感覚で、ホツマ文を堪能することができ、更に、ホツマの古代史をより味わうことができるようです。 故・松本善之助 ・昭和の時代にホツマツタヱを再発見され、且つホツマツタヱ研究の第一人者である。
・現在のホツマブームは氏の功績大であり 氏のホツマ本は未だに売れ続けている。
・松本善之助_Wikipediafは、先生の最後の門下生の吉田六雄が立ち上げております。 ホツマをバックボーンとされた創世記の研究会メンバー 故松本先生の秘められた日本古代史「ホツマツタヘ」(91年5月第9版)の259頁に研究会(通称名:例会)の発足の経緯が記載されております。その頁の内容を記載しますと、 私は「ほつま」誌の同人にホツマツタヱを私と一緒に原典からジカに勉強しようと呼びかけたのです。幸いにも、名古屋と仙台と東京の同人が喜んで同意してくれました。人数はいずれも五、六名から、多い時でも十五名以上にはなりませんでした。・・(中略)・・このようにして、「ホツマ研究会」ができました。・・(後略)・・。 その本を20年前に読んだ時には、「名古屋と仙台と東京の同人」の人物象は描けませんでした。だが、今年の五月に渋谷で二人会を開いた時に、その同人たちが判明しました。知られざる「松本ホツマ」の創世記の研究会に参加していた人たちは、東西の一流、一芸に秀でていた人たちであり、ホツマツタヱをバックボーンに活躍していたのでした。各々名士の表の顔は、中部棋院の名棋士、東京の著名な漢学者、研修所の創設者、起業家、ある銀行の頭取などの経済人、仙台の名士、経済人などであったようです。この人たちは、古の日本を知り尽くし大切にされていたようです。 松本先生より引き継いだホツマの道 この和歌は、先生にお会いした時に戴いたものです。この和歌を毎日、読んでおりますと、「ホツマツタヱの研究は、ホツマツタヱの中に存在し、ホツマツタヱの外には存在しない」との自戒の書に思えて来ます。この背景は、「ホツマツタヱが、長く日の目を見なかったために由来し、ホツマツタヱが末永く研究してくれ」と訴えているとも取れます。ホツマツタヱは10万文字、1万行に当時の古代人の感覚で記述された資料(ヲシテ)を豊富に有しております。そのため、古代の英知を損傷させないため、現在人の知識で行き成り判断することなく、現在人の英知は研究手法・ツールの使用のみに止めたいと思います。このような方法で隈無く調べれば、ホツマの研究の道も明るいと思えます。反面、「これもホツマか」と思えるものもあります。賢いホツマ研究は、ホツマツタヱ本より外れないことが寛容かと思います。過去には、聖徳太子、蘇我入鹿より物部守屋が滅ぼされた(約580年頃)ため、物部家の古文書であったホツマツタヱも同時に隠されたと云われております。約1400年後に、故松本善之助先生によりホツマツタヱが再発見されて、再び光が当たってから今日まで僅か50年です。そのためにも無用な誤解を招かないように研究ルールを明らかにし、ホツマツタヱを大切にしたいものです。これが、松本先生より引き継いだホツマの道です。 3年間の蟄居生活 故・松本先生は、ホツマツタヱを手にされてから 月刊誌の発行を停止されて3年間のホツマの研究に没頭されたとお聞きしております。その後の研究の成果は、月刊「ほつま」初号(昭和49年2月) ? 最終号・249号(平成6年9月)などに詳しく掲載されております。その後、続々とホツマの研究に導かれる研究者は多いと聞きますが、故・松本先生を超えた研究者は未だ排出してないようです。その理由はなぜか。一つには、ホツマツタヱを現在の知識が及ばない難語や古代暦などの内容が含まれている。二つ目は、ヲシテが1万行の10万文字と豊富なことである。三つ目としては、先の一二目を打破するための知力、体力、時力が不足していることが考えられます。その代表例は、ホツマの知識を誤認派生させる。ホツマに接する以前の知識が邪魔する。猿真似する。蘊蓄(うんちく)まで達しない。思い付き。裏付けがないなどの形になって現われるようです。そのことは、論より証拠、過去の作品を見ると一目瞭然です。 このように考えてきますと、後輩としては先生と同じように蟄居生活はできないまでも、先生より進んだ研究成果を一つでも残せたらと思います。そのためには、先生の蟄居生活を分析し、先生の思考回路と自分の思考回路を合わせると多くの成果が残せると思えます。
私の強みは、先生が途中で辞められた「暦」について、独学で暦法を学んだ点です。また、研究が正しいか否かを東京天文台を退社された斎藤国治先生に教えて頂いことと、斎藤先生の紹介で日本書紀暦日原典を編纂された内田正男先生と電話できた点です。あと、42年間に渡り品質保証、品質管理、統計処理などの実務で鍛えせれた知力、体力および、退社後の時力が満載のことです。自慢は、フトマニの語源になる「ある法則の発見」、「長暦(暦)の原因発見」、「2倍化暦の根拠になる文章の発見」などです。 また、暦の研究に目処が付きそうですので、ホツマツタヱのヲシテの解説を2013年11月1日~始めました。現在、6アヤ(綾)を解説中です。すぐに40アヤ(綾)に到達しそうです。 忘れてはいけないことは、「研究レベルを下げること」はいつからでも誰でもできる!! ことです。折角、難しいホツマツタヱを手にしたのですから、英知を働かせて、ガッバって研究しましょうよ。これも、あれも、ホツマの国に生活していないと無理なことですが。 ホツマツタヱ史学研究会の命名の由来 ホツマツタヱは豊富な内容であるため、一、二代の研究では完了しないと思われます。そのため、前任者の責務として、次の代の研究者が前任者の研究をいつでも精査することがで
き、引き継げるようにしておくことが必要かと思われます。特に、ホツマツタヱの暦法(スス暦、アスス暦)については、複雑なため、全資料を公開することが必要と思っております。
このような崇高な考えにより、「ホツマツタヱ史学研究会」と命名させて戴きました。これが、師より受け継いだ 「ホツマツタヱの精神 (鈴明)」になります。 ホツマツタヱの研究には、ホツマツタヱ底本以外は不用です。ホツマツタヱのヲシテ(オシテ)を徹底的に読み下し、解析、統計処理、解読し、学問的にホツマツタヱを蘇らせるこ
とが目標です。志を同じくして、ホツマツタヱを学びたい初学者には、門戸を開いております。但し、「ホツマ、その後」は対象外(注3)とさせて下さい。 底本 ホツマツタヱ(安聡本)復刻本
ほつまつたゑ 上下(鏑邦男編書)
辞書
(注記)
ホツマツタヱの解説には、現在語の流入を最小限とするため、上記以外は使用しておりません。 ヲシテ文献研究体系 .
50年周年を機会に、ヲシテ文献研究体系を公開しました。
当hpは、解読ヲシテ学とヲシテ難原語を主体に研究し、最低でもヲシテ複原語は認識し、「ヲシテ文」、「カナ文」と読み下し文と解説を併記しております。
研究科目
ヲシテ文献 ( ホツマツタヱ、ミカサフミ、フトマニの三書を云う )
ヲシテ学
ヲシテ学は、 (1)解読ヲシテ学と(2)原語ヲシテ学から成る。
原語ヲシテ学は、 ①ヲシテ複原語と②ヲシテ難原語から成る。
ヲシテ学とは、 ヲシテを学問の基本に置き、ホツマツタヱ、ミカサフミおよび、フトマニを学問的に研究することをヲシテ学と云い、解読ヲシテ学と原語ヲシテ学より構成される。ヲシテの表記は、カナ文字となる。
(ご参考)ヤマトコトバ、呉語、漢語を併記する場合は、識別として呉語、漢語を、後( )内に表記する。また、ヤマトコトバ、呉語、漢語の有無の判断は、漢和大字典(藤堂明保編)の利用は有用である。
(1)解読ヲシテ学とは、
スス暦、アスス暦などを暦法により解読、フトマニの占い手法を解読するなど、ヲシテの文化を歴史として解読、証明する研究を解読ヲシテ学と称する。
(2)原語ヲシテ学とは、 古代日本には漢字渡来以前にヲシテと云う文字が存在した。だが、我が国は漢字文化が謳歌してすでに約1650年近くになる。そのため、現在人は三種神器や琴などの漢字表記について、何ら違和感を生じない世代になっている。現にヲシテ文献が漢字混じりの現在語に直訳された場合、古来日本語も抹消の憂き目にあっている。だが、古来日本の呼び名の三種神器は由緒ある「ミクサタカラ」と呼ばれ、また、渡来古琴の七弦琴(しちげんきん)に対し日本古来には複数のコトがあり、5本絃は「ヰ・ス」コトおよび6絃は「ム・ユツ」コトと由緒ある名で呼ばれていた。この二例以外にも他に古来日本の由緒ある言語が存在するなど、現在の呼び名との間には相違が認められるものもある。そして、このヲシテは、漢字渡来以前に我が国に存在した文字であり、ヲシテ特有の古来ヤマト言葉の意味を含有している。だが、現在の漢語に変換すると漢字の意味が強くなり、古代のヤマト言葉の意味があったことも忘れ去られるようである。そのため、ヲシテ本来の「意味」を探究し、原語を極める研究を原語ヲシテ学と称する。また、ヲシテの難易度により、更に、複原語と難原語に分けることもできる。 長所(原語ヲシテ学)
漢字に置き換えないためヲシテは変質しない。そのため、神話域として 将来の研究対象が保存される。 短所(原語ヲシテ学) 漢字以前の知識を以てヲシテを再確認しても、神話の延長になる。(ご参考)神話を脱するには、解読ヲシテ学の手助けが必要。 ①ヲシテ複原語とは、 現在語で解釈ができるが、複数の意味が含まれているヲシテをヲシテ複原語と称する。 ヲシテ複原語の代表例として、「ホツマ」の語句を取り上げ、ホツマツタヱよりホツマの意味の数々を検索して見ますと、ホツマには4つの意味合いが含まれておりました。ヲシテ複原語とは、このような語句を取り上げております。 (1)ホツマクニ等の国名や地名の意味 (28例)
(2)真実、マコトとかを意味するもの (22例)
(3)この二つの中間的な意味合い ( 2例)
(4)文献名ホツマツタヱ・フミの意味 ( 9例) ②ヲシテ難原語とは、 現在語で解釈が著しく困難なヲシテをヲシテ難原語と称する。
(例)オノコロ、イトリなど 講座の解説方法(掲載) Ⅰ、ホツマツタヱ 本文の解説 (1)初めに、ホツマツタヱ・アヤ(綾)【本文】を掲載します。 上行・・・ライト解説文を示す 左列 右列 ヲシテ(原文) 読み下し文 下行・・・・・ヲシテ(原文)を掲載し、上段:ヲシテ、下段;カナ文 左列 中列 右列 ヲシテ(原文) カナ文 読み下し文 (2) 次に、本文の解説文を掲載します。 特長 ・ヲシテ(オシテ)の難語、難解な文を放置せず 【疑問】として取り上げ 更に徹底的に学問的に分析力を行使して 【疑問に応える】形で 記録に残し 第三者が精査できるようにしました。 ヲシテ(文字)コード表
ヲシテは、IMEの文字コードの対象外です。そのため、ホツマ研究者の誰もが自由に相互利用できる「安聰字体」の「ヲシテ(文字)コード表」(案)をIMEの外字に作成し提案しております。
見本として、「ヲシテ (文字)コード表」(案)」を添付しましたのでクリックでご覧下さい。 200年後を目指したホツマ研究 ホツマには多くの難語があります。また、最近、多くのホツマ関連の紙面を目にしますが、どういう訳が、西洋の様式で書かれた論文を目にすることがあります。難語は、解読してこそホツマの研究です、それを解読しないまま、安易に「定義」に封じ込めた言葉が論文に踊っているようです。また、ホツマツタヱの研究は、公の研究です。意見が違うからと云って、「私」を表に出されている紙面を目にすることがありますが、ホツマの研究には馴染まないようです。先ずは、名声を求める前に、今一歩、ホツマツタヱが永年存続した意義を思い出され、定義、私を用いない研究を心がけられ、ホツマツタヱの将来を見据えて、今後100年、200年へと続く研究を行いたいものです。このことは、「なぜ、松本先生は、ホツマツタヱの全訳を残さなかったか」の答えでもあります。 なぜ、松本先生は、ホツマツタヱの全訳を残さなかったか その理由は、松本先生が、自由国民社の辞書の編集長に由来します。その編集長であった人が、ホツマ難語を解読、解明しないまま、ホツマツタヱの全訳が残せると思いますか。また、難語をある言葉に定義して全訳が残せますか。難語を全て解読するには、47歳より始められたホツマ研究にとっては時間が不足だったのです。そのため、先生の意思を引き継ぎ、ホツマツタヱの難語を全て解読した時こそが、ホツマツタヱの全訳を残せる本筋です。適当な定義は、松本先生の本心ではないようです。ホツマの難語をある言葉に変換する定義の仕方は、ホツマツタヱ研究の邪魔です。それは、ホツマツタヱの意味を反らすこと、方向を変えることになります。ホツマの意味には、真面目、真実、正しい があることを忘れないで戴きたいものです。
関連ウェブサイト
ホツマツタヱのスス暦、アスス暦は、縄文、弥生、および、古墳時代に該当した 天照太神の初め 紀年で紀元前1000年、太陽暦で紀元前330年が起源だった 富士山の最後の活発期噴火とアマテル神伊雑宮への宮遷し(遷都) 日本書紀暦(2倍暦)では応神天皇は、仲哀天皇の子でなかった、意外!! 検証 ホツマツタヱ ホツマ暦 解読編 東京・赤坂ホツマ研究 イッコム ダウンロード可
販売およぴ査読募集 日の神(天照大御神)の誕生と新紀年の設立 メール受付中
2024 ホツマツタヱ講座 アクセス数 1 位
受け付けております。2件のメールアドレスよりご気軽にどうそ゛!!
ヤフーメールアドレス : woshite@ymail.ne.jp
最後まで ご愛読して戴き ありがとう ごさいました。
設立趣旨
ホツマツタヱ史学会の図書
ホツマツタヱ
近代的なホツマツタヱ研究の始まり
ホツマ史学の方針
ホツマツタヱ史学研究会、関連ホームページ
ご質問、ご意見