ホツマツタヱでわかる古代の新史実 (ご紹介)



ホツマツタヱ史学研究会 吉田六雄



重要なこと【ホツマツタヱに暦が残されていた】

 アマテル神~神武天皇の即位前  スス暦と云う古代暦があった

 神武天皇即位~景行天皇の御世  アスス暦と呼ぶ、太陰非太陽暦が残されていた

 神武天皇即位~推古天皇     日本書紀暦に改暦の記述はないが、17代天皇元年より薨御歳が半分近くになっていた


紀元前

富士山の噴火

 1、孝霊天皇の25年~36年に富士山(ホツマ名・ハラミ山)が、五百年前に噴火したとの記述があり。

 2、毎日新聞によると、「紀元前300年以前に富士山の最後の活発期の噴火起きていた」と報道していた。

   ⇒ この時の火砕流で堰き止められ、本栖湖が出来ていた。

 3、筆者(吉田)の検証

  孝霊天皇の25年~36年より五百年前の年代について、筆者(吉田)のホツマ暦の解読暦法で500年遡ると、紀元前435年~430年頃の噴火であった。

4、3項と同様にホツマ暦の解読暦法で、アマテル神の諸年代を計算して見ると、古事記、日本書紀に記述されないことが解って来た。  

  伊勢の伊雑宮の祭神であるアマテル神が、ハラミの宮で誕生された       (紀元前330年)

   ⇒ 日高見で勉強に行かれ、10歳になるとハラミの新宮に帰られた       (紀元前320年)

   ⇒ 富士山の噴火から退避されるため、ハラミ宮⇒伊勢の伊雑宮に遷都された  (紀元前316年)

   ⇒ 伊雑宮で政務、隠居され天の眞名井で神上がりされた 約82歳~約85歳   (紀元前249年~紀元前246年)

   ⇒ 後に、垂仁天皇の娘であるヤマト姫が、伊勢に迎えていた         (紀元190年~紀元257年)

 

【ハラミヤマの噴火】

古代富士山の最後の活発噴火

 古代富士山が最後の活発噴火をスス暦時代に起し、その火砕流で西の湖を分断し本栖湖を作っていた。

富士山の最後の活発期は紀元前300年以前までになり、そのため本栖湖が半分埋まって、現在の湖の姿になった。ホツマには、孝霊天皇の御世にハラミ山が五百年前噴火した記述があった。その年を2→1倍化暦に、変換すると、紀元前430年~紀元前435年前の噴火だった。

ハラミ山(富士山)の噴火(2014年1月)  

 引用文献:産総研地質調査総合センターの富士山資料との対比                                         

【アマテル神の生まれ】

 丹後半島で神上がりされたアマテル神は、富士山の裾野の「原の宮」で生まれられていた。

そのアマテル神は、後に、伊勢の内宮に祭られた。

 アマテル神はコソム(九十六)月後に生まれられたと云う。現実にはありえない逸話である。これも、人が生まれるまでの日数を266日(1と月28日で計算し、9ヶ月14日)と知っていれば説明できる逸話であった。コソム→九十六→9ヶ月と16日の隠語。これが、ホツマツタヱ研究の真価です。

アマテル神誕生と秘密の解読  

【アマテル神の生涯年齢】

 アマテル神は、丹後半島のトヨケ神が神上がりされた天の眞名井の同じ朝日宮で神上がりされた。その歳は、現在人は知らないと思うが、ホツマツタヱを読み下すと、生涯年齢が判明する。貴方は信じますか。

 アマテル神は、百七十三万二千五百年(歳)まで長生きされたと云う。だが、オシヒトが箱根の洞に神上.がりされた後、母チチ姫は ・・伊雑宮に行かれて、先に神上がりされていた大御神に朝夕仕えられました。このことより、スス暦の年代を計算しますと、

天照御大神(アマテル神)の崩御と天の真名井伝説 (アマテル神の生涯年齢は、約82歳~約85歳だった。) 




紀元

神武天皇初年~景行天皇までの暦である「アスス暦」

 このアスス暦は、日本書紀暦と瓜二つである。だが、300数個の暦日をホツマツタヱと日本書紀を比較すると、整合率は、約50%である。このことは、日本書紀は、ホツマツタヱの資料を100%は引用してないことになる。その証拠に、ホツマツタヱは、神武天皇初年~12代景行天皇までの年代が、アスス暦で21穂~843穂まで一貫している。だが、日本書紀は、一貫してなく、各天皇毎の年数になっていた。

二つの暦の長所

 近代の暦法で、年月日、干支を計算できるところである。

二の暦の欠点

 初代の神武天皇~16代応神天皇までの天皇において、100歳以上の天皇が多いことである。また、熊本県の不知火海で見られた「不知火」であるが、ホツマツタヱ、日本書紀とも五朔(5月1日)と記述しているが、不知火町ては、旧暦の八朔(西暦では、現れる日が変わる)でお祭りしている。恐らく、ホツマツタヱ、日本書紀の初期の天皇の頃の暦が、近代の太陰太陽暦の暦と違い、太陰非太陽暦の暦であった。

・(引用HP)宇城市不知火海の火まつり をクリックして読んで下さい。


ヤマトタケの生まれ

 ヤマトタケの妊み月が21月であった。その証拠は、残念なことであるが、年齢が長大になる2倍化暦であった。

ヤマトタケの妊み月に見る アスス暦は2倍化暦である元文書発見記(2015年11月)

ヤマトタケは西暦235年12月に生まれていた。


二倍暦の終焉

神武天皇の実存説と証明される2倍暦の終焉


超古代史 新年表

ホツマツタヱ 超古代史 新年表

   同   上    解説


ホツマ暦の解読年代で見直した天皇の系図

(新)アスス暦の2倍化暦→1倍化暦に補正、アマカミ~スメラギ(天皇)系図

(旧)アスス暦の太陰非太陽暦により年代算出、アマカミ~スメラギ(天皇)系図 

                

   (以上)

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