ホツマツタエ アマテル神 天の原伝説と真名井伝説

はじめに  アマテル神は、富士山の裾野で古代暦の鈴暦の21鈴125枝31穂で生まれ、丹後半島の天真名井の朝日宮で1,732,500年頃に薨御されたと云う。編集者の長年の研究結果では、紀元前330年に生まれられ、トヨケ神が亡くなられた天真名井の朝日宮で約82歳~約85歳頃に薨御されていた。なお、この年、歳の研究は、現在、編集者のみであり、貴重な研究資料となる。

なお、本文は、Ⅰ、Ⅱ部より構成されております。 もし、興味、知識を得られるようでしたら、是非、本文を読んで頂けたら幸甚です。

Ⅰ部、ハラミ(富士山)天の原伝説

 ホツマツタヱ史学研究会 吉田六雄

 

●アマテル神の生まれ

天照御大神(アマテル神)(ワカヒコ、大御神)を身籠るイサナミの妊め月数

 ホツマツタヱの4アヤ(綾)、16アヤ(綾)は、イサナミが、息子のウヒルギの皇子を妊まれた時の月数を記述するアヤ(綾)になります。そのことは、イサナギ、イサナミが交わられてから、ウヒルギ、天照御大神(アマテル神)(大御神)が生まれるまでの妊娠期間を記述したアヤ(綾)でもあり、「十月に生まず九十六月に生まれられた」とのこと。現在では、考えられない記述でもあります。また、(天)児屋根の百月、タチカラオの三十六月、サルタヒコの十六年と、三人三様とも妊娠から出産月までの妊娠期間が違う記述になっていることです。

だが、そう云いながら、16アヤ(綾)では、現在と大差ない妊み月数と思えるように、「男の子は年に 女は十月 息吸よければ 生むも安きぞ」と記述されております。

 

4アヤ(綾)

・妊めとも 十月に生まず ・・・・ 九十六月 生れませる 天照御大神(アマテル神)ぞ

 

16アヤ(綾)

・やかて生まれん 大御神  九十六月坐す

・男の子は年に  女は十月 息吸よければ 生むも安きぞ

 

4アヤ(綾)23~24より引用すると  

        カクマシワリテ             かく交わりて   

ハラメトモ   トツキニウマズ     妊めとも    十月に生まず

トシツキオ   フレトモヤハリ     年月お     経れともやはり    

ヤメルカト(注)ココロイタメテ     病めるかと   心痛めて

コソムツキ   ヤヤソナワリテ     九十六月    やや備わりて

アレマセル   アマテルカミゾ     生れませる   天照御大神(アマテル神)ぞ

(注)ヤメル

  【病める】 痛む。苦痛を感ずる。⇒ (訳1)苦痛を感じて、96ヶ月目に受生む 

  【病める】 痛む。苦痛を感ずる。⇒ (訳2)苦痛を感じる(流産、死産) 

 

16アヤ(綾)42~44より引用すると   

        ヱナノメクリモ             胞衣の巡りも 

ナソラエテ   ヤカテウマレン     なそらえて   やかて生まれん

オヲンカミ   コソムツキマス     大御神     九十六月坐す

コノコヤネ   モモツキマセリ     この(天)児屋根 百月ませり 

タチカラオ   ミソムツキマス     タチカラオ   三十六月ます

サルタヒコ   ソムトシオレド     サルタヒコ   十六年居れど

コレハマレ   オノコハトシニ     これは稀    男の子は年に

メハトツキ   イキスヨケレバ     女は十月    息吸よければ

ウムモヤスキゾ             生むも安きぞ

 

天照御大神(アマテル神)などが生まれた時の妊め月数の矛盾点

 現在人の妊娠期間は、一般的には、最終生理開始日から数えて、280日の10ヶ月と10日で計算されているとのことです。また、性交日から数えると266日と云われております。それに対し、天照御大神(アマテル神)の生まれ時は、「妊めとも 十月に生まず 九十六月 生れませる」と記述されており、九十六月の8年になります。一方、「男の子は年に」とも記述されており、相反することが、16アヤ(綾)に書かれおり、矛盾することが記述されていることです。また、この矛盾を更にややこしくしているのが、(天)児屋根の百月、タチカラオの三十六月、サルタヒコの十六年と、三人三様の妊め月数が記述されていることです。

 

性交日から266日を「○ヶ月と○日」の表示に変換する

 現在人の妊娠期間について、性交日から数えると266日と前述しましたが、この266日を○ヶ月と○日で表示しますと、ひと月の日数が27日の場合は、9ヶ月と23日になります。

また28日の場合は、9ヶ月と14日になります。ちなみに、280日の場合はひと月の日数が、27日として10ヶ月と10日になります。

 

現在の妊娠日数と妊娠の月日(期間)  (表-1)

      妊娠の日数 月の日数 妊娠の月日(期間)  特   記

現在(1) 266日  27日  9ヶ月と23日  性交日からの妊娠期間

同 上   266日  28日  9ヶ月と14日  性交日からの妊娠期間

現在(2) 280日  27日 10ヶ月と10日  一般的な妊娠期間

 

コソム(九十六)月は、妊め期間(妊娠日数)を隠した「からくり」の隠語の言葉であった

 性交日の266日を○ヶ月と○日の表示に変換しますと、ひと月が28日の場合に9ヶ月と14日になります。この9ヶ月と14日と、天照御大神(アマテル神)を妊まれ月数の九十六月とを比較しますと、9ヶ月と14日(914)と九十六月(916)と記載でき、この二つの記載は、「914」と「916」に書き直しますと、近似であることに気付くと思います。そして、九十六月(916)に対し、月名の記載位置をずらしますと、九十六月が九月十六日に置き換わると思います。この九月十六日を妊め日数に逆算しますと、ひと月を28日として計算した場合には、 268日が求められます。この268日は、現在の性交日から生まれるまでの日数である266日と比較しても、2日違いではあるが近似になるようです。

 

「からくり」の紐解き表  (表-2)

      妊娠の月数 月の日数 書直し月数と日数 妊娠の日数

天照御大神(アマテル神) 九十六月  28日  九ヶ月と十六日  268日

 このように考えてきますと、ホツマツタヱに記述された九十六月の数字は、高度に考えられた「からくり」の表現の数字のように思えてきます。現在で云えば「隠語」でしょうか。この天照御大神(アマテル神)の法則が、(天)児屋根、タチカラオ、サルタヒコの妊め期間(妊娠日数)にも応用できるかを次に考えて行きます。

 

妊め期間(妊娠日数)を隠した隠語の法則

 天照御大神(アマテル神)の隠語の法則を見習って、(天)児屋根、タチカラオ、サルタヒコの妊め期間(妊娠日数)に隠された隠語を考えて見ます。三人については、ホツマの記述がわかりやすいように、下記の表に記載しました。この表を見ますと、共通の言葉が表示されているのに気付かれることでしょうか。

先ず、(1)月日を隠し月とした事例があります。次に、(2)九を三に読み替え月の事例があります。そして、(3)九十六の九を隠し年の事例などが見られます。この法則には、九十六月の「九」を隠す、また、「十六」を残そうとする工夫が見られます。また、日を月、年と読み替える単純な「からくり」が見られます。このことを下記の表に記載しました。対比して頂けると幸甚です。

 

三名の隠語の表示 (表-3)

       妊娠の月数 月の日数 書直し月数と日数 妊娠の日数  隠語の法則     

天照御大神(アマテル神)  九十六月  28日  九ヶ月と十六日  268日   (1)

(天)児屋根 百  月  28日 10ヶ月と 0日  280日   (1)

タチカラオ  三十六月   -     -         -   (2)

サルタヒコ   十六年   -     -         -   (3)

ホツマにも下記のように、現在と同じ妊み月数の記述あり。

 男の子は    年に  

 女は      十月  

 

ホツマでも九十六は、月数だけに使用されてなかった。

 前述の16アヤ(綾)42~44では、「九十六月」と使用されて、一般的には「8年」のことと訳された。だが、下記の14アヤ(綾)25~26では、「スベコソムアヤ」と使用され、訳すると「総べ九十六アヤ」になる。「コソム」は「九十六」の数詞であるが、次の「あや」の意味より、「九十六月」と関係ない意味になる。そこで、「アヤ」を辞書の解説を読むと「あや 【▽文・▼綾】 ① 物の表面に表れたいろいろの形・色合い。模様。特に、斜交する線によって表された模様をいう。・・他は省略」であり、「スベコソムアヤ」は、「全てで九十六模様」の意味になる。

 また、「7~8月に臓物ができ、9月に眉目、血脈、声帯の48箇(ヂ)ができ、48箇(ヂ)×2倍の96箇(ヂ)で総べ九十六アヤが備わりて、12ヶ月目に母親の胞衣を脱ぎて生まる」と記述している。(12月は師走と云うため、この12月は12ヶ月目の訳となる。)すると、妊娠の月数と48箇(ヂ)、96アヤ(綾)は、直接に妊娠の期間に関係ないことになる。96アヤ(綾)は、48箇(ヂ)の2倍の数詞であり、この文章は人間の体の出来るまでの成立過程を表しているとも考えられる。そうすると、96の意味は、ホツマ文字では、数詞文字で書かれているが、ホツマの原書の文字は、今では見ることができないが、「96」元に戻すと「コソム」⇒「九そむ」⇒「九初む」とも解釈される。「初む」を辞書の解説を見ると、『…し始める。初めて…する。』とあり、「九初む」の解釈は、「九にし始める」⇒「九ヶ月に人になる」とも解釈される。

 重複になるが、16アヤ(綾)42~44では、「九十六月」と使用されて、前後の文章より妊娠の期間が8年だったと記述されるが、この月数の使用方法は、ホツマの編集者の誤認であると思う。寧ろ、14アヤ(綾)25~26の文章の「全て九十六アヤ(模様)」⇒「九ヶ月に人になる」の使用例が本筋を表していると思われる。これが本来のホツマの解釈である。

 

14アヤ(綾)25~26の引用文 (人体での子の育ち方を記述している文章)

       フヅキクラムラ         七月蔵むら

 ハヅキワタ ナカツキハミメ   葉月臓   長月は眉目

 シムソヨベ コエノヨソヤヂ   シム十四部 声の四十八箇(ヂ)

 アワノカミ スベコソムアヤ   アワの神  総べ九十六アヤ

 ソナワリテ ソフニヱナヌギ   備わりて  十二(月目)に胞衣脱ぎ

 ウマルナリ           生まるなり

(注)アヤ

  【文・綾】 ① 物の表面に表れたいろいろの形・色合い。模様。・・他は省略

  【文・綾】 ①   同 上  ⇒ 人の体は、96の臓物などの個体より成ると考えられていた。

 

 上記のように、「からくり」であると説明してくれている基は、表中の下段の「男の子は年に」、「女は十月」の文章がその基準になります。また、人が生まれると云う法則は、時代が変わっても「普遍」です。この普遍の法則に照らしたことからも、(私見ですが、)ホツマツタヱを編纂した作者が、後世の人たちに簡単に見破れないように工夫した文章に、只々、古代人の偉大さを感じるばかりです。または、人体の成り立ちを細かく細分化して考えていたことになります。

 

天照御大神(アマテル神)の生まれ日の精査 (吉田説)

 天照御大神(アマテル神)が生まれる時の経緯は、4アヤ(綾)23~24に記述しておりますが、その文章を更に、精査することにしました。そこで、この文章の現在文は、「かく交わりて 妊めとも 十月に生まず 年月お 経れともやはり 病めるかと 心痛めて 九十六月 やや備わりて 生れませる 天照御大神(アマテル神)ぞ」になりますが、訳文は、「イサナミは天照御大神(アマテル神)を妊娠したが、出産の十ヶ月になっても生まず、九十六月経ってから生んだ」と訳文していたような気がします。訳しなかった文章は、「かく交わりて ・・・・ 年月お 経れともやはり 病めるかと 心痛めて ・・・・ やや備わりて ・・・・・」になります。そして、訳文しなくても、趣旨は変わらないと思っておりました。

 だが、この訳文しなかった個所を良く吟味しますと、とても重要な個所を訳文してなかったような気がします。この部分は、イサナミの女心、母親としての心、また、アマカミ(天神)を生みたいが授からなかったとのイサナミの思いが隠れているような気がします。そうこうしている内に、「やや(子が)備わりて、「九初む(九ヶ月に人になる)」月の九月と十六日に 天照御大神(アマテル神)が生れた」と訳文ができるようです。

 

最後に

 天照御大神(アマテル神)の生まれは、「八年もイサナミのお腹に居た」とするが一般的な訳でしたが、人間の誕生から見ると有り得ないことになります。

そのため、私見として、九十六月の解釈を「九初む月⇒九ヶ月に人になる月」である九ヶ月と十六日(268日)と解釈を変更することにしました。 この新見解に対し皆さんのご意見を賜れれば幸甚と思います。 

 

新解釈

4アヤ(綾)23~24より引用すると  (下記は、新解釈の現在文を示す) 

        カクマシワリテ             かく交わりて   

ハラメトモ   トツキニウマズ     妊めとも    十月に生まず   

トシツキオ   フレトモヤハリ     年月お     布令ともやはり

ヤメルカト(注)ココロイタメテ     止めるかと   心痛めて

コソムツキ   ヤヤソナワリテ     九初む月    稚(児)備わりて

アレマセル   アマテルカミゾ     生れませる   天照御大神(アマテル神)ぞ

(注)

 【経れ】

 【布令】 広く人々に告げ知らせること

(注)ヤメル

  【病める】 痛む。苦痛を感ずる。⇒ 苦痛を感じて、96ヶ月目に受生む ⇒(有り得ない話)

  【止める】 続けてきたことを、終わりにする。

4アヤ(綾)23~24の全新訳文

 イサナギ、イサナミの両神は、日の神を授かろうと夫婦の契りをかく交わりて、御子お妊みになられました。だが、運悪く流産されて十月に子をお生みになられません。そんな悶々とした日々の中に、次の御子を待望されて、年月お布令(告げ知らせる)になられるが、不安が先に立ち、やはり子供を作ることは止めるかと、心を痛めておられました。そんな折に、イサナミに妊みの兆候が見られ、「九初む月⇒九ヶ月に人になる月」の九ヶ月と十六日(九十六月)経った日に、待望のやや(稚)児が備わりて 皇子がお生れになりました。この皇子は、後に天照御大神(アマテル神)と呼ばれる人でしたぞ。    



Ⅱ部、 丹後半島 天の真名井伝説

                    ホツマツタヱ史学研究会  吉田六雄

 

●アマテル神の生涯

はじめに

今回の話題は、男性の天照御大神(アマテル神)の生涯の歳の話です。

ホツマツタヱには、13アヤ(紋)に「大神の宣ふ」として、天照御大神(アマテル神)が登場します。その文章より登場してくる「大神」と、天皇の皇孫の「キヨヒト」または、別名の「ニニキネ」、「幸御魂」、「別雷」、「伊勢」、「稜威の神」の関係について対比し、日本書紀暦(含むアスス暦)、スス暦より逆算し、天照御大神(アマテル神)の生涯年齢を計算して見ました。

その結果、天照御大神(アマテル神)は約82~85歳の頃、丹後半島の天の真名井の朝日宮(トヨケの神上がり宮)で神上がり(崩御)されていた。(なお、ホツマには、神上がりされた時のスス暦年月日が未記述。)詳細内容は、下記の本文、調査結果をご覧下さい。

 

1、本文の直訳と解説

奉呈文ー13~16(2行)【本文】

     トキニオンカミ      時に大神     稜威→神聖、威力の強烈なこと

ノタマフハ イマニニキネノ 宣ふは   今ニニキネの

サキミタマ クニトコタチノ 幸御魂   国常立の    幸御魂→幸福を与える霊魂

ワザミタマ アラハルイツト 業御魂   現はる稜威と  業御魂→稲作りを始た霊魂

カガナエテ ワケイカヅチノ 日夜なえて 別雷の     日夜萎えて→日が過ぎる

アマキミト ナツケタマハル 天君と   名付け給はる  アマキミ→アマキミ

ヨノハシメ イマスヘラギノ 世の初   今スヘラギの   スヘラギ→スヘラギ  

アマキミハ ミナニニキネノ 天君は   みなニニキネの

イツニヨル ミコマコヒコノ  稜威による  御子、孫、曽孫  

スエマデモ アマテラシマス 末までも  天照らします

オヲンカミ モモナソヨロノ 大御神   百七十万の   大御神→ワカヒト

トシオヘテ モトノヒノワニ 年を経て  もとの日の輪に

カエマシテ アオヒトクサオ 帰まして  青人草お     青人草→人民、国民

テラシマス        照らします

 

解説文

 ニニキネ天君は、紀元前248年~紀元前246年の頃に、82~84歳になられた天照御大神(アマテル神)の大神より、別雷の天君と名付けられ、ヲシテ賜わられた。その時、天照御大神(アマテル神)の大神は、次のことをお仰になられた。『ニニキネ(キヨヒト)天君は、これまで全国を開拓して稲作りを普及させ、民を豊かにされた功績は大である。今では、民より幸福を与える神の霊魂(幸御魂)と呼ばれ、また国常立の稲作りの功績をも上回る稲作り業を開発されて、神の霊魂(業御魂)とも呼ばれるようになった。そしてニニキネ天君は、現在では神々より神の聖とも考えられるようになった。このようなニニキネ天君は、天照御大神(アマテル神)より別雷の天君と名付けられ、ヲシテ賜わられるのであった。その別雷の天君の世の初も、今ではスヘラギ(天皇)の天君として、その権威は皆ニニキネの神の聖による所が大きい。この神の聖は、御子、孫、曽孫の末代までも天照らされておられります。』

『その大御神(天照御大神(アマテル神))は、生まれる前より日の神の誕生として待望されて、この方、約82~85歳の百七十万年(28アヤ(紋)36(1行)~37(2行)では、「苦きお食みて 百七十三万 二千五百年お 永らえて)長生きされて、もとの日の輪に帰って行かれました。その後も、この世を司る日の神(太陽神)として、全ての民草(国民、青人草)を末代まで照らし続けておられます。 』

 

2、調査結果

一、「時に大神 宣ふ」の大神は、何アヤ(紋)まで生存していたのか?

 大鹿島が書いた、奉呈文ー13~15(2行)【本文】の「時に大神 宣ふ」の記述は、ホツマツタヱ本文の何アヤ(紋)を引用して、奉呈文の説明書きを記述したのであろうか。そこで、ホツマツタヱ本文を調べて見ると、24アヤ(紋)103(2行)~104(3行)にその原文があった。(詳細は、下記に対比したので、ご覧下さい。)

 

奉呈文ー13~15(2行)24アヤ(紋)103(2行)~104(3行)より引用すると、

     時に大神    葵葉と    桂に伊勢の       葵葉、桂:ニニキネ 

宣ふは  今ニニキネの   勅り    天は降り照り

                     まつたきは 雷別けて  まつたき:全き

             神お生む

幸御魂  国常立の           これ国常立の      

業御魂  現はる稜威と  さらの稜威               稜威→神聖、威力の強烈な

                          かがなえて                 

かがなえて 別雷の            別雷の         別雷→ニニキネ

天君と  名付け給はる  天君と     ヲシテ賜わる

 

 そして、「大神」の記述でなく、大神のことを「伊勢」と表現していた。(表現の違いはあるが、天照御大神(アマテル神)を指しているので、「大神」のまま原稿を書き進める。)そこで、奉呈文ー13~15(2行)【本文】は、「大神 宣ふ」と記述している所から、大神の天照御大神(アマテル神)が生存している時の記述であることは間違いがないようである。そのため、ホツマツタヱ本文より、天照御大神(アマテル神)を形容する他の大神の言葉がないかを検索して見ると、全体で「(1)オンカミ」、「(2)オヲンカミ」、「(3)オオンカミ」の三つの言葉が見出された。この三つの言葉は、天照御大神(アマテル神)が生存中のことなのか、神上がり後のことなのかとの疑問を提起させる。それにしても、ホツマツタヱ本文には、天照御大神(アマテル神)が神上がりされた日の記述、鈴枝穂の記録は残ってない。

そこで、「(1)オンカミ」、「(2)オヲンカミ」、「(3)オオンカミ」の言葉が、本文の何アヤ(紋)に使用されているかを検索し、「(1)オンカミ」、「(2)オヲンカミ」、「(3)オオンカミ」の前後の文章より、生存中のことか、神上がり後のことかを検証して見たいと思う。その結果、25アヤ(紋)以降の大神の記述は、神上がり後の記述であると推定された。

 

生存中、神上がり後の判定結果

結果は、「1-10(判定不可)」、「8-78(生存中)」、「20-4(生存中)」、「22-32(生存中)」、

「25-3(神上がり後)」、「25-4(神上がり後)」になり、25アヤ(紋)までには、神上がりしていたと推定された。詳細は、次の内容をご覧下さい。

 

(1)オンカミ

①1アヤ(紋)10(3行)~11(1行)は、「生存中?否?」は判定不可だった。

        御食重なれば

齢なし     故にオンカミ

月に三食

 

②8アヤ(紋)78(1~3行)は、「事語らん」より「生存中」のことと推定される。

千早より    アメヱのミチが

オンカミに   事語らんと

呼ばらしむ

 

③20アヤ(紋)4(1行)~5(1行)は、「聞し召し」より「生存中」のことと推定される。

集まりて    ひた留む故

テルヒコお   降すべきやと

伺ゑは     伊勢のオンカミ 

聞し召し    許せは勅使の

返事す

 

④25アヤ(紋)2(4行)~4(1行)は、「朝夕仕え」より「神上がり後」のことと推定される。

        先に父君

日足る時    箱根の洞に

入りますお   母チチ姫は

事ありて    伊勢に至りて

オンカミに   朝夕仕え

祀らしむ  

 

⑤25アヤ(紋)4(1行)~5(2行)は、「拝みて」より「神上がり後」のことと推定される。

十万年経て

今枯に     箱根に詣て

幣捧け     それより伊勢に

御幸なる    オンカミおよび

チチ姫お    拝みて淡(国)の 

瑞穂国     宮遷し成る

 

(2)オ〃ンカミ(大御神)

①22アヤ(紋)32(3行)~33(3行)は、「聞し召さる〃」より「生存中」のことと推定される。

ユキスキ地の

オ〃ンカミ   聞し召さる〃

清祓ひ     火水土お神に

謹みて     清め給えと

申して奉す

 

(3)オヲンカミ(大御神)

 32件のオヲンカミについて、文章をチエックしたが、生存中、神上がり後を直接判断できる言葉を見出すことができなかった。また音節数より言葉の古さを調査して見ると、「オヲンカミ」は5音であり、それに対し「オンカミ」の音節数は4音である所から、「オンカミ」が古く、「オヲンカミ」が新しい言葉と判定した。なお、個々のアヤ(紋)の説明は、アヤ(紋)番号を記載しましたので、ホツマツタヱをご覧下さい。

1-16、7-16、7-44、7-46、8-1、8-19、8-41、8-43、8-59、9-24、10-53、

12-5、12-6、13-24、13-57、14-7、15-27、16-42、21-56、22-3、24-4、

24-59、24-90、26-44、27-13、28-33、29-7、30-1、32-54、36-34、36-39、

39-50

 

二、ニニキネ、キヨヒト、別雷は、何アヤ(紋)に神上がりされたか?

 奉呈文ー13~15(2行)【本文】の文章は、「時に大神 宣ふは 今ニニキネの 幸御魂」と続く。また、ニニキネについては、後に「別雷の 天君と 名付け給はる」と記述している。このことから推定すると、「大神(天照御大神(アマテル神)) 宣ふ」の言葉は、御孫のニニキネが生存中のことと推定される。

そこで、(1)ニニキネ、(2)キヨヒト、(3)幸御魂、(4)別雷の 天君、(5)伊勢、(6)稜威の神の言葉において、ホツマツタヱ本文の何アヤ(紋)に記述されているのかを検索し、更に、(1)ニニキネ、(2)キヨヒト、(4)別雷、(5)伊勢、(6)稜威の神が、ホツマツタヱ本文の何アヤ(紋)まで生存し、何アヤ(紋)に神上がりされたかを調査することにした。調査結果、ニニキネが生存していた記述は、26アヤ(紋)3までであり、神上がりは、26アヤ(紋)42であった。

 

生存中(神上がり後)の状況調査結果

(1)ニニキネ_生存中の記述4件、(神上がり後の記述0件)

  19ーB6、20ー24、21ー47、23ー99

(2)キヨヒト_生存中の記述4件、(神上がり後の記述2件)

20ー20、21ー1、23ー93、24ー13、(28ー23)、(29ー7)

(3)ニニキネの 幸御魂

  記述なし

(4)別雷の_生存中の記述4件、(神上がり後の記述10件)

24ー104、25ー1、26ー1、26ー3、(26ー43)、(27ー54)

 (27ー55)、(28ー26)、(29ー 8)、(30ー2)

 (37ー18)、(37ー19)、(37ー22)、(37ー25)

(5)伊勢_生存中の記述1件、(神上がり後の記述0件)

  24ー103

(6)稜威の神_生存中の記述0件、(神上がり後の記述1件)

  (26ー42)

 

三、大神の神上がり後の年代、ニニキネ、キヨヒト、別雷の神上がり年代を推定する。

 上の一項で「(1)大神」は、「25アヤ(紋)までには神上がり後の記述」とした。また、二項で(2)ニニキネ、キヨヒト、別雷は、26アヤ(紋)まで生存していたと判定した。このため、大神とニニキネのアヤ(紋)についての年代を推定する。年代の算出としては、ホツマツタヱより、25アヤ(紋)、26アヤ(紋)の前後のスス暦の記述を抜粋し、列記する所より始めた。

その結果、

(1)大神は、25アヤ(紋)1までの紀元前245年までには、神上がりされていたと推定される。   

(2)ニニキネ、キヨヒト、別雷は、26アヤ(紋)42に神上がりされており、紀元前224年~紀元前189年の間の紀元前 約200年頃に神上がりされたと推定される。

(3)大神とニニキネの年代を比較すると、天照御大神(アマテル神)の大神が神上がり、された後も御孫もニニキネが活躍した様子が、奉呈文ー13~15(2行)【本文】の文章のp> 「時に大神 宣ふは 今ニニキネの 幸御魂」、「別雷の 天君と 名付け給はる」の記述よりわかっていたが、上の(1)(2)項の年代の調査結果からも、奉呈文ー13~15(2行)【本文】の記述は、大神が生存中のことを記述していたことが証明される。なお、24~27アヤ(紋)の年代については、次の通り整理しましたので、ご覧下さい。

 

『抜粋』 

なお、抜粋と同時に、すでに下記のスス暦は、西暦に換算済のため、【 】内に年代を記載した。

24アヤ(紋)  4、

「時二十九鈴五百の一枝 三十八(穂)如月一日と 梅の花見の」【BC257年】

24アヤ(紋) 91、

「政ホツマに 整ひて 二万八千経て 三十鈴の 暦なす頃」  【BC255年】

24アヤ(紋) 92、

「世々豊か 八万年経て 日高見の 君より召せば」      【BC248年】

24アヤ(紋)103、

「伊勢の 勅り ・・・・・  別雷の 天君と ヲシテ賜わる」

24アヤ(紋)114、

「なお豊かにて 十万年 瑞穂のぼれば 民安く」       【BC246年】

25アヤ(紋)  1、

「三十二鈴 二十三穂ツウヱ ウ(4)月初 別雷の 天君は」 【BC245年】

25アヤ(紋)  2、

「先に父君 日足る時 箱根の洞に 入りますお 母チチ姫は 事ありて 伊勢に至りて

 オンカミに 朝夕仕え 祀らしむ 十万年経て 今故に 箱根に詣で」

25アヤ(紋) 14、

「豊かなる年 三万経る 時に筑紫の 治まらで」       【BC242年】

25アヤ(紋 )60、

「筑紫宮 豊かに肥えて民安くここにも六万年お経て 三鈴の間」【BC237年】

26アヤ(紋)  1、

「三十六鈴 三十四枝三十八(穂) 弥生望 別雷の 天君は」 【BC224年】

26アヤ(紋) 42、

「かねて会う日の 稜威の神 高千穂の峰の 神となる」

27アヤ(紋) 22、

「時四十二鈴 八百五十枝 極年ネウト 八月四日」      【BC189年】

27アヤ(紋) 40、

「民豊か 折鈴なれば 植え継ぎて 七鈴及べど なお豊か 四十九の鈴の 九百十

 一枝 初穂キアヱの 初三日に コヤネ申さく」       【BC153年】

 

四、天照御大神(アマテル神)の年齢(推定)を神上がり記述より見た年数

 今まで、大神の神上がりの年代について調査して来た。それも、ホツマツタヱのアヤ(紋)を中心に調査して来た。その結果、大神の神上がりの年代は、上に説明したように、「(1)大神は、25アヤ(紋)1(紀元前245年)までには、神上がりされていたと推定される。」と報告した。また、(2)天照御大神(アマテル神)の生まれは、4アヤ(紋)24に「生れませる 天照御大神(アマテル神)ぞ 二十一鈴 百二十五枝 年キシヱ 初日」が記述されており、今までのスス暦の計算より、紀元前330年と推定している。この(1)と(2)の年数差を計算すると、式、紀元前245年-紀元前330年=85年間になる。

この85年間は、大神が神上がりされたと推定されるアヤ(紋)の記述を元に、年代を推定したものである。そのため、天照御大神(アマテル神)の実年齢を計算してないが、この頃に生存し、神上がりされていたことがわかる。

 

4アヤ(紋)24(3行)~25(2行)より引用すると、

生れませる   天照御大神(アマテル神)ぞ

二十一鈴    百二十五枝

年キシヱ    初日ほのぼの

出づる時

 

五、天照御大神(アマテル神)の年齢(推定)と思える大きい暦数字の記述より見た年齢

 28アヤ(紋)36(1行)~37(2行)の記述には、天照御大神(アマテル神)の年齢と思える「百七十三万 二千五百年お 永らえて」の記述がある。この「百七十三万 二千五百年」を天照御大神(アマテル神)の年齢として、計算すると、(1)スス暦の1日の計算が16穂であった期間において、生まれた日の大きい暦数字1,207,531穂~27鈴までが60.31歳になる。また(2)スス暦の1日の計算が8穂であった期間において、27鈴~1.732,500年までの年齢は、14.76歳になる。(1)と(2)の二つの年齢を合算すると、天照御大神(アマテル神)の推定年齢は、75.07歳に計算される。

 また、ホツマツタヱ本文をそのまま読むと、天照御大神(アマテル神)の年齢は1.732,500歳と読める。だが、もう少し深く読むと、27アヤ(紋)85(4行)~88(1行)に、「わが八十万も 百歳も」とも記述されている所から見ても、天照御大神(アマテル神)の推定年齢の75.07歳は、「百歳」と比較しても、遜色ない計算である。

 

六、天照御大神(アマテル神)の年齢(まとめ)

 従って、上のように調査して来た結果より、天照御大神(アマテル神)の生涯年齢は、82~85歳だったと推定しても問題ないと判断される。なお、五項の75歳は、永らえている途中の年齢であった。

 

28アヤ(紋)36(1行)~37(2行)より引用すると、

   いやとよ我は

民のため    苦きお食みて

百七十三万   二千五百年お

永らえて    天の楽しみ

覚ゆれば  

 

27アヤ(紋)85(4行)~88(1行)より引用すると、

        御祖天君

勅り      タケヒト、タネコ

しかと聞け   我つらつらと

思みれば    人草の御食

茂る故     生まれさかしく

永らえも    千代は百代と

なり枯れて   わが八十万も

百歳も     世の楽しみは

相同じ     天照御大神(アマテル神)も

帰らせば    天の道守る

                                 (おわり)                

 

ご質問、ご意見などを受け付けております。ご気軽にどうそ゛!!

  woshite@b09.itscom.net

メールアドレスをクリックしますと、メール画面が現れますので、そちらより「発信」をお願いします。 


                              (以上)

ホツマツタヱ史学研究会の講座紹介

 
  • ホツマツタヱとは、(2022年6月HP追加)
  • ホツマツタヱ入門書 勉学のすすめ(2022年2月HP追加)
  • ホツマツタヱ史学研究会 設立趣旨 
  • ホツマツタヱ スス暦、アスス暦の正体.
  • 学問 スス暦、アスス暦と年齢講座  
  • スス暦 (優しいスス暦の解説) 
  • 不知火とアスス暦の解読
  • ホツマの旅 ホツマツタヱゆかりの地を歩く
  • ミカサフミ 解説
  • フトマニの歌 
  • パソコンで、外字 ヲシテ(文字)を楽しもう 
  • 生花 こころを生ける
  • 島原の乱と島原記(明和4年) (2022年2月HP追加)
  • 長崎県(旧)南高来郡杉谷村の起源(起り) (2022年2月HP追加)


  •  最後まで ご愛読して戴き ありがとう ごさいました。