ホツマの旅 ホツマツタヱゆかりの地を歩く
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縦型洗濯機 脱水時のアンバランス回転原因について ← クリックして見る このページの「ホツマツタヱ ゆかりの地を歩く」の旅行記は、ホツマツタヱに出会って10年目を記念して、平成15年~20年の間の5年間に渡り、北は日隅、南は曽於、中はアワ国のホツマ関連の神社、史跡を調べ廻った記録です。 思い出深いのは、酒折宮、天真名井、岩木山神社、塩釜神社、勿来伊雑宮、鵜戸神社、吾平山上陵、霧島神社、高千穂峰、三輪山の大神神社などになります。なお、本現行は、小冊子「検証ホツマツタヱ」に掲載された原稿になります。また、ホツマ研究の大きな財産になりました。
すべての論文に、PDF原稿を添付してあります。PDF原稿のアンダーバー付きアドレスをクリックし、ダウンロード、または、開くをクリックするとご覧できます。(吉田)
ホツマツタヱ史学研究会 吉田六雄
千葉県の由来
千葉海岸への上陸は「姉(オトタチバナ)が先」であった。だが、現在の姉ヶ崎の名は駅名に残されているが、住所、地名としては消滅し、姉崎に変わっている。江戸、明治時代まで遡って調べて見ますと、明治22年に姉ヶ崎村は他の8村と合併し鶴巻村になり、明治24年に鶴巻村→姉崎町に名称変更されていた。そのため、姉ヶ崎村と姉崎町は違うようです。だが、古代の上総国の村民は弟橘媛が年上の姉上のお妃であったことを知っていた。そのため、オトタチバナ姫を偲んで神上り名として、ホツマツタヱにも記述されてない姉ヶ崎の名を自分たちの村名に残し、景行天皇、ヤマトタケの皇子を癒されたようです。それにしても、姉崎には弟橘媛の名は見えない。(吉田説)
神奈川県の由来
神奈川のオトタチバナ姫を祭る神社は、橘神社(走水神社境内社)、吾妻神社(二宮)、それに、橘樹神社(川崎)がある。また、横浜市の昔の海岸付近を調べると、オトタチバナ姫の伝説が残されており、特に、現在の横浜駅の裏手の地にオトタチバナ姫の伝説が残されていた。
オトタチバナ姫が流れついたと思われる芝生(しぼう)と云う地名
現在の横浜駅の裏手側は、昔、袖ヶ浦と呼ばれていた。今では、歴史に埋もれた横浜の袖ヶ浦の地になり、また、その横浜駅の西側の裏手に浅間町の地名がある。この浅間町の旧名は、芝生(しぼう)と称したとのことです。現在の横浜駅、高島町は埋め立てられた土地に存在しておりますが、古い横浜港の日本画を見ると、芝生村があり浅間神社も描かれていた。そして、現在の地名になったのは、1901年(明治34年)の横浜市への編入に当たり、地域の浅間神社名を頂き、浅間(せんげん)町と改名したとのことです。また、改名に至った経緯は、芝生(しぼう)が「死亡」に通じることを嫌った住民の懇願によるとされております。
芝生(しぼう)の謂れ(私見)
明治時代のこの地区の浜は、袖ヶ浦と呼ばれ、地名は芝生(しぼう)村であった。私見ですが、この二つの名称から考えますと、 オトタチバナ姫が入水し後に海岸にたどり着いた袖や亡骸より、この横浜駅当たりの旧地名を「芝生」と名付け、芝生の漢字を当てたことが容易に推定されるようです。
平成14年8月18日作成 ア ス ス 暦 (ホツマツタヱの暦の考察)(第3号) ホツマツタヱ ゆかりの地 改2_アスス暦を西暦に換算 姉ヶ崎の由来 上総の浜への上陸は 姉(弟橘姫)が先 であった。クリックする。→【伝説】姉ヶ崎の由来 ヤマトタケが「ホツマ討ち」に出かけた頃の歳は、日本書紀、ホツマでは「38歳」と云われていた。だが、ホツマのアスス暦を解読すると「19歳」であった。また、年代の比較は難しいが、アマテル神が長子のオシヒトに天日嗣された時のアマテル神の年齢は「41歳」である。このことから判断しても、昔、ヤマトタケが「38歳」でホツマ国(関東地区)に遠征したことは否定されるようだ。改_2
本文の目次
オトタチバナ姫 オトタチバナ姫の生まれ年 オトタチバナ姫の半生 【オトタチバナ姫の龍神】 【オトタチバナ姫の形見】 オトタチバナ姫を祭る神社 検証・オトタチバナ姫の神社 オトタチバナ姫の独り言 オトタチバナ姫の終焉地 オトタチバナ姫の御歳 平成16年11月16日作成 ア ス ス 暦 (ホツマツタヱの暦の考察)(第16号) ホツマツタヱ ゆかりの地 宮津 天の真名井を歩くクリックする 天の真名井 玉杵の 宮津の宮 真名井の原の 場所捜し スズはマサカキ 元伊勢一宮 籠神社 真名井の原で見る スズはマサカキ (注)文中の年代は参考値です。 平成17年2月1日作成 ア ス ス 暦 (ホツマツタヱの暦の考察)(第17号) ホツマツタヱ ゆかりの地 京都 糺の森、瀬見の小川を歩くクリックする 鴨長明 瀬見の小川 (注)文中の年代は参考値です。 平成17年11月30日作成 ホツマツタヱ 再発見 (ホツマツタヱの暦の考察)(第22・23号) ホツマツタヱ ゆかりの地 多賀城、塩釜神社、勿来関を歩くクリックする 多賀の国府 ツボ若宮 旧ヤマテ宮の多賀城政庁跡 今は昔 特別史跡 多賀城跡 多賀城政庁跡(内城地区) 塩釜神社 塩釜神社のご由緒 塩釜神と塩土翁神との年代比較 志波彦神社 金華山 勿来関 平成18年6月1日作成 ア ス ス 暦 (ホツマツタヱの暦の考察)(第26号) ホツマツタヱ ゆかりの地を歩く まぼろしのキヨミ(湖) 探検旅行クリック 研修旅行 赤坂出発~富士宮・山宮 赤池さんとの談笑 シビレウミか? キヨミ(湖)と旧・清水市 三保の松原、羽衣の松 幻のキヨミ、発見! 清見潟スポーツセンター、清見寺 平成18年10月1日作成 ア ス ス 暦 (ホツマツタヱの暦の考察)(第27号) ホツマツタヱ ゆかりの地を歩く 長崎県・高来の古里を考えるクリック 長崎県・高来の古里を考える 再発見 タカク・高来 タカクの意味 高来神社 長崎県・高来での、タカクの意味 中国より朝鮮への漢字の伝来 漢字の伝来から見る「高来」 「高」→「タカ」の読み方 タカクの一音節の意味 景行天皇が渡った「タカク」 平成18年12月1日作成 ア ス ス 暦 (ホツマツタヱの暦の考察)(第28号) ホツマツタヱ ゆかりの地を歩く 西南へて至る 酒折の宮にクリック ヤマトタケ 東征の足跡を追って 東征への旅立ち 東夷征伐・東国平定ルート 全御幸の行程
景行天皇40穂6月(西暦254年9月)・日代の宮(桜井市)出発 ⇒
10月7日(西暦254年11月20日)・伊勢 ⇒ 磯の宮(伊勢市磯町、磯神社) ⇒ 裾野⇒焼津野 ⇒ 草薙 ⇒ 足柄山 ⇒ 相模の小野 ⇒ 櫓の岳 ⇒
12月8日(西暦254年12月28日)・大磯 ⇒ 大山の北 ⇒ 大磯 ⇒ 上総 ⇒ アシ浦 ⇒ 勿来の浜 ⇒ カリ宮 ⇒ タケの湊 ⇒ 新治 ⇒ 筑波山 ⇒ 西南 ⇒ 酒折の宮 ⇒
41年1月28日(西暦255年1月15日)・相模の舘 ⇒ 吾妻森 ⇒ 大磯 ⇒ 川合の野 ⇒ 秩父山 ⇒
2月8日(西暦255年1月28日)・国巡り ⇒ 箱根のウスイの坂 ⇒ (東南を望みて) ⇒ 追分 ⇒ 信濃木曽路 ⇒ 美濃⇒
41年春(西暦255年2~3月)・尾張 ⇒ 至る神路 ⇒ 伊吹神 氷柱降らして⇒ 泉に冷えます 醒が井や ⇒ 尾張 ⇒ 伊勢の道 ⇒ 尾津の一松(三重県桑名市) ⇒ 三重村 ⇒ 能褒野
西南へて至る 酒折の宮に 現在版・ヤマトタケの足跡を辿る 東国平定ルートと神社のご由緒比較 静岡県 神奈川県 千葉県 茨城県 福島県 山梨県 神奈川県 埼玉県 神奈川県 山梨県 酒折の宮の所在地(考察) ホツマ国・ヤマトタケの足跡を辿る(地図添付) 平成19年1月21日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第29号) 西南へて至る 酒折の宮に (2)クリック 西南へて至る (読者のご質問に答えて) 酒折宮の所在地 富士山・南麓にあった酒折宮(考察) 大明見にあった酒折宮(考察) 甲府市酒折にあった酒折宮(考察) ウスヰの坂 平成19年4月1日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第30号、31号) 天孫降臨の地と熊襲の古里を捜してクリック 天孫降臨の地と熊襲の古里 天孫降臨の地 霧島神宮 霧島神宮の御社殿 ホツマの鹿児島宮 鹿児島神宮 ヤマトタケに滅ぼされた熊襲 熊襲の地を捜して(1) 熊襲の地を捜して(2) 鹿児島神宮史より見る「熊襲の地」 熊襲の本拠地、曽隼人はどこか 隼人町が、熊襲の本拠地であった。 平成19年9月13日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第33号) 岩木山神社に 隠れた古代を見るクリック 岩木山神社 横浜郊外 杉山神社 青森・八甲田山、十和田湖 奥入瀬渓谷 岩木山神社の隠れた古代を見る 平成20年1月15日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第35号) ヤマトタケ、木曽路行く 阿智の里を訪ねて 中央線、飯田線の車窓 昼神温泉郷 阿智神社へ 阿智神社・前宮 阿智神社・奥宮 阿智神社・奥宮にて思うこと ヤマトタケの木曽路を探る 平成20年3月10日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第36号) 河津桜 来宮神社(熱海市) 来宮神社(河津町) 杉桙別命神社の由緒 伊豆半島に多数分布した来宮神社 伊豆半島の神は、海から来た 伊豆半島とホツマツタヱ 平成20年5月12日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第37号) フツヌシの姫神(妻)を捜してクリック フツヌシ(経津主) 香取神宮を訪ねて 香取神宮小史 神宮小史の年代考証 香取の名の由来 フツヌシの姫神(妻)を捜して 姫神を祭る神社 平成20年7月6日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第38号) 大三輪の里を訪ねてクリック 大三輪の里 三輪明神大神神社 大神神社の祭神 ヲコヌシ神のクシヒコ 平成20年9月17日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第39号) 大和の道へ クシヒコの家系 クシヒコが仕えたニニキネ 大和の道とは 秀真(ホツマ)なる時 直ぐな印の 杉植ゆる 大神神社のご由緒と検証 大三輪のうま酒 若宮社 大直禰子神社 クヱヒコ神社 山辺の道 平成21年1月10日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第41号) 定年旅行 高千穂峡へ 天岩戸神社・東本宮 天安河原 高千穂峡 高千穂宮 夜神楽 神楽の語源を考える 民俗学辞典の神楽 ホツマツタヱにあった、神楽の語源 岩戸隠れ 平成21年3月15日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第42号) 高千穂を後にして 青島神社へ 青島神社 「海幸彦、山幸彦」物語の比較 海幸彦、山幸彦の物語が教えてくれるもの 青島神社の元宮 平成21年5月16日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第43号) 鵜戸の浜と鵜戸神宮 (その3)クリック 日南海岸 カモヒト天君と鵜戸の浜 鵜戸神宮 楽しい鵜戸神宮の参道 鵜戸神宮のご由緒 タケウガヤの命名の由緒 岩屋内の本殿 竜宮伝説を連想させる亀岩 南九州に遺された遺産 都井岬へ 都井岬の馬 平成21年7月1日作成 ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く (第44号) 高千穂峰のサ(南方向)にあった宮崎宮、吾平山上陵 (その4)クリック 吾平山上陵へ 吾平山上陵 (注5)鵜戸六社権現 カモヒト天君の老いとタケヒトの筑紫入り タケヒト「世の御親なり」 カモヒト天君の神上がり 宮崎神宮への疑問 宮崎(宮)、宮崎山(注6) (注7)宮崎の地名の起源 (注8)宮崎神宮、鹿児島神宮 高千穂峰にあった古代の鹿児島宮(注9) 大川内神社と吾平津姫 大川内神社の方角 鹿児島神宮の起源 受け付けております。2件のメールアドレスよりご気軽にどうそ゛!!
Outlookメールアドレス : pojuft78bn@outlook.jp
ヤフーメールアドレス : woshite@ymail.ne.jp
最後まで ご愛読して戴き ありがとう ごさいました。 (以上)
ホツマツタヱに ようこそ
ホツマツタヱ ゆかりの地を歩く
オトタチバナ姫を祭る神社
オトタチバナ姫の年齢と千葉県 姉ヶ崎
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宮城県 多賀城、塩釜神社、勿来関を歩く
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長崎県・高来の古里を考える
西南へて至る 酒折の宮に
西南へて至る 酒折の宮に (2)
天孫降臨の地と熊襲の古里を捜して
岩木山神社に 隠れた古代を見る
阿智の里を訪ねて、ヤマトタケの木曽路を探る
河津桜と、もう一つの来宮神社を訪ねて
フツヌシの姫神(妻)を捜して
大三輪の里を訪ねて
大和の道とヲヲコの御魂神を訪ねて (その2)
高千穂 神楽の語源は「ホツマ」にあった (その1<
おとぎ話 筑紫ウマシの浜は、竜宮城か (その2)
鵜戸の浜と鵜戸神宮 (その3)
高千穂峰のサ(南方向)にあった宮崎宮、吾平山上陵 (その4)
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