疑問 なぜ、ヤマトタケルは21ヶ月で誕生したか
関連研究HP
景行天皇初年の年代算出
経緯
景行天皇の即位は、前天皇が亡くなったアスス月のアスス788穂(年)7月であった。
だが、ホツマツタヱには景行天皇の初年が記述されているが、初年のアスス年代は未記載である。
そのため、他ホツマ研究者は景行天皇の初年を前天皇が薨御された年のアスス788穂(年)とする。
だが、景行天皇の初年を「ヤマトタケ21ヶ月後の誕生」までの月数で遡り計算すると、
景行天皇の初年は、翌年のアスス789穂(年)だったこのことが判明する。
この1年の違いにより、アスス暦の終焉年が「アスス843穂(年)」に対し景行天皇の御世は、56年が55年であったことも判明する。
暦解読者の常識
皆さんも、計算して見て如何でしょうか。
アスス789年の根拠
解説 1
年月を作図して解読すると、「去年の四月」が初年のホツマツタヱの文章に隠れていたことがわかる。
詳細は、下表をご覧下さい。、
ホツマツタヱの文章の抜粋(カタカナ訳)
解説 2 (吉田説)
「去年の四月 妊みて 生まず 21月 経て12月望・・双子生む・・弟の名ハナキネ (こと、ヤマトタケ)」の文章は、2穂3月と3穂2月初日の間に記述されている。この年月の記述より、「12月望」の年月は2穂12月のことだと判明する。そして2穂12月を基準に、遡ること「21月経て」の月数を計算すると789穂4月に達する。
一般的には、天皇が薨御されると次の天皇が即位された月の年より初年になる。だが、ホツマツタヱの記述を見ると、前天皇が薨御され次の景行天皇が即位された788穂7月の項には、景行天皇の初年の記述はない。このことを多くのホツマ研究者は見逃している。すでに景行天皇の御世においては、前天皇の「喪に服されていた」期間があり、788年7月~12月は、喪に服されていた。このことより、前天皇が薨御された788年の年は12月まで前天皇の御世であった。そして、次の景行天皇の初年は、789穂1月であった。
21ヶ月の個所 ↓↓
反対に、ホツマ研究者が誤認している即位年の788穂を初穂とすると、4月は788穂4月になり、2穂12月より遡りすると33ヶ月目になり、「21月経て」の文章に合わない。また、景行天皇は、未だ即位されてない月となる。そして、前年の788穂4月の御世は前天皇の御世である。
松本先生の最後の門下生(弟子)
ホツマツタヱ史学研究会 吉田六雄
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ホツマツタヱの読み方