不知火とアスス暦の解読
世界神秘遺産級の八代海の「不知火」が、昨今は見られなくなった。
その要因は、温暖化で海水温の上昇と都市化の波で、対岸の湾岸にバイパス道が開通し、その車のライトの光で「不知火」の火の有無がわからなくなったと云われております。
だが、この不知火の現れる月は、神武天皇~16代仁徳天皇の御世が、2倍暦であったことを証明される自然現象であった。このことは、32代までの天皇の薨御歳を調べることでも証明が裏付けされる。
ホツマツタヱ史学研究会 吉田六雄 (ご参考)熊本県観光サイト なごみ紀行 くまもと不知火“海の火まつり”&神秘の火『不知火』観望より引用させて頂きました。
http://kumanago.jp/event/?mode=detail&id=430000002182&isSpot=&isEvent=1
不知火が現れる月
不知火は自然現象である。その不知火が現れる月は、地球の傾き、回転速度などがほぼ一定であれば、古代も近代も一定の月に現れる筈である。このよう考察すると、古代と近代の暦が違ったと推測されるため、試行、再現を検証して見た。
古代と近代の暦が違いの検証
ホツマツタヱのアスス暦、日本書紀暦の前半が、二倍暦と仮定し計算した見た。
a、簡易試行
二つの暦を2列に並べて計算する。左列に2ヶ月を1と月として、1~12月に並べる(2倍暦を想定)。右列に2年分の月を1~12月の順に並べる(1倍暦を想定)。そこで、景行天皇が見た五月朔を想定し、左列の5月1日に対し、右列を見ると9月1日が計算される。このことは、旧暦の5月朔の日が、暦の違いにより旧暦の8月朔に近い9月1日であったことが再現できる。
b、本格試行 New !!
サ(5)月初日(ホツマ)、五月壬辰朔(日本書紀)の記述について、旧暦八朔になるか否かをWebに掲載される新旧暦の換算表を用いて計算した。また、計算手順としては、旧暦(太陰太陽暦)五月初日、または、五朔を新暦(太陽暦)の月日に換算し、次に、新暦のまま、経過日数の暦日を2倍暦⇒1倍暦に変換し月日を求め、最後に、新暦の月日を旧暦の月日に換算した。
その結果、旧暦八朔の4日前の7月27日が計算される。
この結果、不知火は、旧暦八朔前後の一週間は現れると云われるため、景行天皇が見た旧暦五月初日、または、五朔の不知火は、本来の旧暦の太陰太陽暦の暦では、八朔の前後に表れていた不知火であったと思われる。
詳しくは、不知火の5朔を糺せなかった古代官僚群年代の虚像から生じた5朔の不知火と紀年問題 (クリックする。) また、不知火の現れた日(7月27日)を反映したアスス暦年表ホツマツタヱと日本書紀の暦日比較 (クリックする。) c、2023年 不知火の発生月を分析し新刊を作りました New !!
ホームページ名「ホツマツタヱ暦学講座」 ( クリックする。) 本の作成方法
この本の文章の元は、約30年間に渡り書き記したメモの記録が上記の本になりました。そして、文中で説明される古代暦は、過去に1倍暦⇒2倍暦⇒1倍暦に変化していた暦になります。だが、現在の日本人は、そのことさえも誰も知らなかったのです。況して、伊勢神宮の神が日本の新紀年になることさえも忘れられていたのです。
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まえがき
景行天皇が見た不知火は、五月初日です。近代の不知火の現れは、旧暦7朔、8朔です。昭和の学術調査では、「条件が揃えば、一年中の新月に不知火が現れる」と報告されております。そのため、一年の新月の回数を調査して見ますと、年に12、13回の不知火チャンスと思われます。だが、不知火を見るチャンスは、新月の前後において、不知火が現れる成因は、気温の異なる大小の空気塊の複雑な分布の中を通り抜けて来る光が、屈曲を繰り返して生じる光学的自然現象が現れた時と云われています。そのため、干潟、海上の空気温度と密接な関係がある八代海の水温をWeb上で調べて見ました。
b添付の水温データー は、熊本県水産研究センターが公開している平成24年の海況情報の主な観測定点における海水温の変化です。海水温データーは4月~3月までを記しており、注目の不知火が現れる海域は、「D:八代海北部(八代市沖)」になり、 注目の海水温は、旧暦5朔、旧暦8朔の頃の海水温になります。旧5朔の5~6月頃の平均海水温は、19~22℃になり、また、旧8朔の8~9月頃の平均海水温は、26~27℃になっておりました。また、海水温上昇は、5朔に対し8朔は、+5~+7℃の上昇でした。上グラフから新暦8~9月の高水温、不知火が現れ易い。それに対し、5~6月は水温が低い。
また、大気中の気温(℃)と飽和水蒸気量(g/m3)の関係をも調べて見ました。平成24年6月18,19,20日(旧5朔)の平均気温は、最高27.6℃/最低21.3℃および、9月14,15,16日(旧8朔)の平均気温は、最高31.3℃/最低23.7となっておりました。その時の気温に対するそれぞれの飽和水蒸気量(g/m3)を比較して見ますと。6月18,19,20日(旧5朔)時は26.8/18.71(g/m3)になり、9月14,15,16日(旧8朔)時は32.72/21.49(g/m3)になります。このことからも、飽和水蒸気量は、6月18,19,20日(旧5朔)時を100%としますと、9月14,15,16日(旧8朔)時は、14~22%も増加するようです。
更に、5朔~8朔時の海水温を詳細に観察するため、5朔~8朔時の23時(前日)~3時(当日)までの海水温を比較して見ました。また、海水温の資料は、上記の平成24年のデーターと一致させるため、平成24年以降に限定しました。平成24年(2012年)、平成25年(2013年)、平成27年(2015年)、平成28年(2016年)間の4年間の5朔~8朔時の23時(前日)~3時(当日)までの海水温を、熊本県水産研究センターのHPより、八代海(田浦局)の速報版を引用し計算して見ました。その結果、加重平均海水温は、5朔の21.56(min20.68~max23.00)℃、6朔の26.14(min24.70~max27.71)℃、7朔の28.55(min27.73~max29.25)℃、8朔の26.13(min24.81~max27.77)℃になっており、常時、不知火が現れる8朔より7朔の方が海水温化が高くなっておりました。また、6朔は8朔とほぼ同程度の海水温になっておりました。また、5朔との海水温の上昇を見ますと、6朔、7朔、8朔は、+4.58、+6.99、+4.57℃と上昇しておりました。
そして、ここまで、海水温の絶対温度と上昇温度、および、大気中の気温(℃)と飽和水蒸気量(g/m3)のことを論じて来ましたが、現在では、5朔の不知火を見た記録がなく、8朔のみに集中しております。それは、なぜかと、思い考えて見ますと、一つには5朔頃の夜中は寒い、また、梅雨の頃で見たと云う人がいなかったことが考えられます。二つ目には、不知火が現れる海水温の境目が把握されてなかったことが考えられます。
そこで、海水温と気象の変化を如実に教えてくれる事例はないかとWebを閲覧して見ました。すると、台風と海水温の関係を見出すことが出来ました。気象研究所(気象庁)の「台風と海水温の関係」のHPから引用しますと、「熱帯から亜熱帯海域の暖かい海上(海面水温が26.5℃以上)で、台風は発生するといわれています。高い海面水温は、熱帯で形成される弱い渦を最大風速~17m/s以上の台風へと強化するのに好都合な海の環境といえます。しかし海面水温が26.5℃以上の海域では、すべての弱い渦が台風へと強化されるわけではありません。(以下、省略)」
なお、ここで云う、不知火と台風は直接は関係ありませんが、台風が発生し易い海水温の26.5℃に注目することにしました。そして、前述しました、八代海(田浦局)の5朔~8朔の海水温を観察しますと、5朔の加重平均水温は、21.56(min20.68~max23.00)℃で、26.5℃に達してなく変化に乏しいと思われるようです。それに対し、6朔の26.14(min24.70~max27.71)℃、7朔の28.55(min27.73~max29.25)℃、8朔の26.13(min24.81~max27.77)℃になっており、26.5℃の近傍または高温であり、変化が期待される海水温になっておりました。
このように、水温、気温と水の蒸発量は比例しており、このことが、その日の天候や風とが相混じることで、如何に空気塊の複雑な分布を作るかに掛かっているかと思われ、その意味でも一年を通じた不知火の現れる複数新月を特定することは、不知火の謎を解明するには有意義と思われます。現在では夏以外は調査された形跡がないようで、秋、冬、春に不知火を見たと云う記録がないようです。そのためにも、条件が合えば新月の月でも現れるのかの今一度、フルタイムの不知火調査が必要かと思われます。あなたの不知火への感想は如何なものでしょうか? もし、希望が叶うなら、不知火ファンの熱意をライブカメラに託しようと思います。そのためにも、カメラ設置の構想を立ち上げて見ました。共感できる不知火ファンを捜しております。ぜひ、メールして下さい。
0、不知火の読み方 辞書の読みは、「しらぬい」である。私は「しらぬひ」と読んでる。その違いの理由は、景行天皇が不知火を見た頃の文字に由来する。当時の文字は「ヲシテ」と呼ばれ、太陽の陽、焚き火の「ひ」の文字形は、「 冂 」 の真ん中に小さな白丸の「 ○ 」を組み合わせた異形文字になり、読みは「ひ」になる。だが、ヲシテの基本形は「 ○ 」の小さい黒丸であり、ア行の「い 」と読んでいる。このことから、辞書は「いらぬひ」と読まず「しらぬい」としたことが推定され、このころになるとヲシテの読み方がわからなかったと思われる。
引用文献 : 発行:熊本県不知火町 (発行日:平成5年4月1日) (1)不知火は旧暦八朔
(新暦八月二十五日~九月二十二日頃)深夜の干潮(二時~四時)時に 暗黒の海上に現われる神秘の火である。昨今では、不知火の成因は、気温の異なる大小の空気塊の複雑な分布の中を通り抜けて来る光が、屈曲を繰り返して生じる光学的自然現象というのが定説になっている。そして、光源は、民家等の灯や漁火などである。そのため、条件が揃えば、有明海の不知火は大晦の日に見えるなどと云われるのもその一例である。唯、前述のように八代海北部は条件の特に整い易い地域であり、例年の旧暦八朔に現われる火となっている。
(2)最近の不知火が現れた状況
今年までの8年間、例年通り 旧暦の八朔に不知火が「現れた」と教えて頂きました。(宇城市) なお、最近は、対岸の車のライトで見づらいとのことです。(地元情報)
NO, 西暦/平成 旧暦八朔 → 新暦換算 不知火(〇印:現れた、見えない:?印)
1 新暦2021/令和 3 09/07(火曜) ? 気象条件が悪いため
1 新暦2020/令和 2 09/17(木曜) ? 気象条件が悪いため
1 新暦2019/令和 1 08/30(金曜) ? 雨天のため
1 新暦2018/平成30 09/10(月曜) ? 雨天のため
1 新暦2017/平成29 09/20(水曜) ? 対岸の都市化、温暖化の影響か
1 新暦2016/平成28 09/01(日曜) ? 対岸の都市化、温暖化の影響か
2 新暦2015/平成27 09/13(日曜) 〇
3 新暦2014/平成26 08/25(月曜) 〇
4 新暦2013/平成25 09/05(木曜) 〇
5 新暦2012/平成24 09/16(日曜) 〇
6 新暦2011/平成23 08/29(月曜) 〇
7 新暦2010/平成22 09/08(水曜) 〇
8 新暦2009/平成21 09/19(土曜) 〇
9 新暦2008/平成20 08/31(日曜) 〇 (3)近年の不知火の調査と現れた状況
昭和10年の「新興熊本博覧会(開催:3月25日~5月13日)」で肥後国の歴史が紹介され、これを契機に「不知火の現れる原因の追求」がアカデミックに調査されるに至り、昭和11年、12年(1936、37年)の調査で旧6朔では現れないが旧7朔、旧8朔で不知火が現れることが確認され、昭和33年(1958年)には30分、1時間毎の写真が記録され、また、昭和38年、39年(1963、64年)の調査で「不知火の現れる原因」が明確になった。
NO, 西暦/昭和 旧暦八朔 → 新暦換算 不知火の状況(旺盛、盛、小、明滅、衰、-)
1 新暦1988/昭和63 09/13(火曜) 2:00-3:30 盛
2 新暦1964/昭和39 旧8朔 09/06(日曜) 3:42-4:10 旺盛
3 新暦1963/昭和38 08/20(火曜) 1:30-2:30 小明滅
4 新暦1958/昭和33 09/12(金曜) 0:00-3:00 盛
4 新暦 同 / 同 旧8朔 09/13(土曜) 0:00-3:00 盛
5 新暦1937/昭和12 07/07(水曜) 1:00-3:00 ー
5 新暦 同 / 同 旧6朔 07/08(木曜) 1:40-4:00 ー
6 新暦 同 / 同 08/05(木曜) 0:00-2:20 小
6 新暦 同 / 同 旧7朔 08/06(金曜) 未記載 未記載
6 新暦 同 / 同 08/07(土曜) 1:00-3:40 盛
7 新暦 同 / 同 09/03(金曜)23:40-2:00 小明滅
7 新暦 同 / 同 09/04(土曜)23:40-3:00 盛
7 新暦 同 / 同 旧8朔 09/05(日曜) 1:00-4:00 衰
7 新暦 同 / 同 09/06(月曜) 2:00-4:40 小、僅少
8 新暦1936/昭和11 08/15(土曜) 0:20-2:40 盛
8 新暦 同 / 同 08/16(日曜)23:30-4:00 旺盛
8 新暦 同 / 同 旧7朔 08/17(月曜) 1:20-3:50 痕跡
8 新暦 同 / 同 08/18(火曜) 1:40-3:40 弱
9 新暦 同 / 同 09/15(火曜) 0:00-2:20 衰
9 新暦 同 / 同 旧8朔 09/16(水曜) 未記載 未記載 (4)大正、明治、江戸時代の不知火の記述
旧暦八朔の不知火の記述は見られるが、原因は掴めてなく、時間までの記述がなかった。また、十二月に見られる記述、また島原湾の北部(神代沖)でも見られる記述があり、不知火と他の火区別がついているか把握できなかった。なお、江戸時代の記述は、記紀や風土紀に記載されているが古の文献の引用と思えた。
景行天皇18年と近代~現在では、3ヶ月の違いがある。 旧暦の5月初日と8月朔
景行天皇十八年、天皇自ら筑紫を巡幸されたおりの五月初日に不知火が現れたとの記述が、 日本書紀、ホツマツタヱに記述されている。だが、現在において、不知火が現われる日は、旧暦8月1日前後になる。西暦に換算すると年毎に違うが、8月25日~9月22日の範囲になる。このように古代と現在では、不知火の発生月が約3ヶ月も違うが、初代タケヒト(神武)天皇の以前に「冬至る日に 大祭り」の記述がある所から見ても、暦の起点を間違えていたとは思われないようである。況して、現在でも毎年、同じ頃に発生している自然現象が、約3ヶ月もズレて来るとは思われない。 (1)日本書紀(朝日新聞社本)
・《景行天皇十八年(戊子八八)五月壬辰朔》五月壬辰朔。従葦北発船到火国。於是日没也。夜冥不知著岸。遥視火光。天皇詔挟杪者曰。直指火処。因指火往之。即得著岸。天皇問其火光之処曰。何謂邑也。国人対曰。是八代県豊村。亦尋其火。是誰人之火也。然不得主。茲知非人火。故名其国曰火国。 (2)ホツマツタヱ(安聰本_直訳文)
・十八年三月・・・(中略)・・・・サ(五)月初日に 船馳せて 行く八代え 日の暮れて 着く岸知れず 火の光る 所え指せとの 勅り 岸に上りて 何村と 問えば八代 トヨ村の 炊く火お問えば 主お得ず 人の火ならず 知らぬ火の 国と名付くる Ⅵ、今後の不知火の調査について
現在、文献集「不知火(発行:不知火町)」を拝見しますと、不知火の現れる原因、月日時間が調査されており、旧7朔、旧8朔に現れていた。だが、大正以前の資料、伝承では条件が合えば不知火が現れるとの伝承があり、昭和時代の調査でも〇朔の月で現れていないかとの疑念が一層できないてないと思えた。そのため、今後は、神秘的な不知火を捜して、不知火ファンのためにも、1年中、不知火をライブカメラで観察できる体制が望まれる。また、不知火が旧八朔以外でも現れることがわかれば、観光としての不知火見学に道を開くと思える。現在でも、旧7朔、旧8朔には現れているようだ。
もし、観察体制が整備されるようでしたら、一ファンとして支援をして行きたいですね。また、同じ志の方がいれば 不知火のことをメール仕合たいですね。また、楽しく支援したいですね。
最新の不知火情報
2016年(平成28年)より不知火を研究してきましたが、現実には、不知火が現れたのは、2015年(平成27年)を最後に、不知火町では確認されてないとのことです。原因は多種でしょうが、対岸の都市化の光量が増加、温暖化による昼と夜の気温差がなくなったなどが考えられるそうです。そのため、現地での不知火が確認できなくなりました。これで、また、世界神秘遺産が消えたようです。
筆者は、ホツマツタヱの研究家である。長年のホツマ暦のスス暦、アスス暦の研究結果より、景行天皇当時の暦は2倍化暦が確認されており、景行天皇十八年初日の不知火を2倍化暦→1倍化暦で計算し直すと、九月初日に不知火が現れる計算になる。但し、旧暦の年月日を1倍化暦に変換する時の一年の日数は、旧暦では一年の日数が変動するため、新暦の三百六十五日を借用し計算しました。その結果、十八年(偶数年)五月初日→九月初日に計算される。なお、上記で説明したが、新旧暦の対照表が現存する暦をWebより借用し計算すると、旧暦五朔⇒新暦月日⇒2分の1暦に換算⇒新暦月日⇒旧暦の月日を求めると、7月27日の八朔の4日前が得られる。このことより、景行天皇が見られた不知火は、現在の旧暦で7月27日の不知火であったと思われる。
また、景行天皇が見た五月初日の不知火は、新暦では6月の梅雨の季節であり、不知火が現れる条件の干潟の表面温度を上げるための日照時間も少ないようだ。
更に、同年七月四日に、八女より「マヱ山の アワ岬見て」の記述があるが、旧暦七月(新暦8月)の有明海はガスっており遠くが見えない日が多い。八女の人のHPでも、八女茶を栽培している山より見ても、新暦の10月の秋にならないと雲仙岳。島原半島は見えないと記述している。
このことからも、景行天皇が、八代、タカク、八女を御幸された十八年のできごとは、有明海周辺の季節の天候に一致してないことは周知の事実のようです。
景行紀、景行天皇紀が引用されているが、不知火が現れた日の天皇18年の五朔であった記述が見られない。
《日本書紀》景行紀にも記され,古くから知られていたが,その正体が不明のまま不知火といいならわされてきた。
〔景行天皇が肥の国を討伐した際、暗夜の海上に正体不明の火が無数に現れたという故事がある〕
世界大百科事典 第2版の解説
しらぬい【不知火】
光の異常屈折のために,一点の漁火(いさりび)でも左右に細長くのびて見える現象。九州の八代海(別名不知火海)や有明海で夏の朔日(さくじつ)(旧暦の1日で大潮になる日),特に八朔(旧暦8月1日)によく見られる。この現象は《日本書紀》景行紀にも記され,古くから知られていたが,その正体が不明のまま不知火といいならわされてきた。1937年宮西通可(1892‐1962)が現地の観測と室内実験で,不知火現象のおこる機構を説明した。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
大辞林 第三版の解説
しらぬい【不知火】
夜間の海上に多くの光が点在し、ゆらめいて見える現象。九州の八代やつしろ海・有明海で見られるものが有名。干潟の冷えた水面と大気との間にできる温度差によって、遠くの少数の漁火いさりびが無数の影像を作る、異常屈折現象とする説が有力。しらぬひ。 [季] 秋。 〔景行天皇が肥の国を討伐した際、暗夜の海上に正体不明の火が無数に現れたという故事がある〕
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最後まで ご愛読して戴き ありがとう ごさいました。
Ⅰ、不知火
Ⅱ、景行天皇が見た不知火
ホツマツタヱ、日本書紀には、景行天皇が九州を巡行された旧暦の五月朔のことである。そして、八代海の船上で、景行天皇は不知火を見られたとの記述であった。だが、江戸時代以降の不知火が現れた記述を調べると、ほとんどが旧暦の8月朔の前後に集中しており、旧暦の五月朔の記述はない。
不知火
Ⅲ、文献集不知火
Ⅳ、不知火の現れるの比較月
Ⅴ、古典の文章比較
Ⅶ、不知火ファンが支援できること
Ⅷ、補足
Ⅹ、辞書の不知火の記述 の不思議