景行天皇が巡幸した高田宮

景行天皇が巡幸した高田宮



2倍化暦で再現  旧七月→10月タカタ宮クヌギの木

 2014年9月12日~24日付

 特別研究 

 景行天皇 筑紫巡幸で見た 

 7月4日 タカタ宮のクヌギの木の高さは どの位だったか? 

 

 ホツマツタヱ史学研究会 吉田六雄

 

景行天皇の筑紫巡行で見えてくる 古代暦をアスス暦に置き換えた時の季節の違い。

 5月初日に八代 そこで、不知火を見た記述がある。だが、不知火が実際に見える年月は、八朔(旧暦8月1日、2014年は8月25日)頃とのことです。このように、景行天皇の当時のアスス暦は、現在の太陽暦とは季節が違うようです。この原因は、暦法が違うよあで、恐らく、2倍暦では再現されます。 

 

7月4日 高田宮は、大牟田市歴木高泉がその跡だった。

 景行天皇の筑紫巡行の帰路、景行天皇の十八年三月都帰りのため、日向の高宮を出発され、宮崎県小林、四月三日熊本県球磨、五月初日(旧暦では8月1日が正規であり、暦法がおかしいようです。)に八代、六月三日高来県、玉名、十六日阿蘇国、七月四日筑紫道後の高田宮に入られた。高田宮に到着されると、宮の翁から「御神木である大御木が倒れた」時の話を聞かれました。倒れた木を見ると、長さが九百七十丈もある大御木でした。人々は、往来の度に大御木を踏み越えながら、「朝霜の 御木の竿橋 前つ君 いや渡らずも 御木の竿橋」と歌っておりました。その歌の意味について君が問われると、高田宮の翁は、この木は「クヌギなり 倒れぬ前は 朝日影 杵島峰(佐賀県武雄市近郊の南の山)にあり 夕日影 阿蘇山覆ふ 神の御木」でしたと申されたのでした。そこで景行天皇は、この御神木にあやかり、高田宮のある「国もミケとぞ 名付けます」と申されました。

古代に、高田宮にあったとされる「くすの木」の高さ計算のイメージ図(推定)

aiake_kai  

(大御木の影が作る「朝日影、夕日影」が、杵島峰、阿蘇山を覆ふとの記述は、下記のPDFまたは、HPでご報告。)

PDF

詳細は、景行天皇 筑紫巡幸で見た タカタ宮のクヌギの木の高さは どの位だったか?をご覧下さい。  



7月後半 福岡県八女市の山より、長崎県島原市の眉山、大三東(町)が良く見えるのは、秋から冬の季節であった。

ご質問、ご意見などを受け付けております。ご気軽にどうそ゛!!

  woshite@b09.itscom.net

メールアドレスをクリックしますと、メール画面が現れますので、そちらより「発信」をお願いします。 


 最後まで ご愛読して戴き ありがとう ごさいました。

                                  (以上)