ホツマの時代考証 ホツマツタヱは日本書紀よりやはり古かった
新聞社評価
2018年のことでした。某新聞社より家庭用の電話に連絡がありました。
用件は、国会図書館で「ホツマツタヱは 日本書紀よりやはり古かった」本を読んだとのことでした。そして、我社で宣伝してあげるから、拡販しないかとのことでした。その理由は、執筆の経緯にあり、日本書紀よりホツマツタヱの優位性を読み取られたと察しました。その秘密は、「本の中」に隠してあります。
本の題名
「ホツマツタヱは 日本書紀よりやはり古かった」
サブタイトル
「ホツマツタヱ編纂年代の時代考証」
執筆の経緯
本書の原稿は、「ホツマツタヱと日本書紀_秀真の記述」の題名より執筆し始めました。だが、執筆が進む内に、ホツマツタヱの時代考証に題名も「ホツマツタヱ 編纂年代の時代考証」です。そこで、ホツマツタヱと日本書紀の文章を比較して行きますと、日本書紀よりホツマツタヱの方に古い記述が見出されるに至り、題名も「ホツマツタヱは 日本書紀よりやはり古かった」としました。
2018年2月1日~ 発売中 (自費出版)
本の仕様 : 自費出版 A5×72頁
書籍番号 : ISBN978-4-9909679-1-8 (国会図書館寄贈済)
本 代 : 合計2,380円
CD版代 : 合計1,280円
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メールアドレス woshite@b09.itscom.net
ホツマツタヱ史学研究会 吉田六雄 単行本「ホツマツタヱは日本書紀よりやはり古かった」の発売に対する挨拶文
はじめに
1966年8月、神田古書店で『ホツマツタヱ』3アヤ(綾)分(小笠原長武、奉呈本)が再発見されてから今日まで、在野の歴史愛好家によりホツマツタヱ研究が盛んに行われ、今では、発表会なども目にするようになって来ました。
すでに、ホツマツタヱが再発見されてから50年間が経過しておりますが、未だ史学会や教育会などの公に「研究された」との情報を聞いたことがありません。況して、昭和40年代頃に偽書と述べる歴史家がいたため、未だ世間に認知されておりません。そんな中でも昭和40年~50年代の産学界のトップ・名士の中にはホツマツタヱを研究されており、私の知人の団体OBらもホツマツタヱを知り、ホツマに暦が掲載されていることをお聞きしておりました。
ホツマツタヱの偽書説の主な論点は、次の3点になるかと思います。
(一) 現存する安聰本「ホツマツタヱ」の写本は、安永四年(江戸時代)のものであり、それ以前に遡れる資料が未発見である。
(二) ヲシテ(文字)が、15世紀に創作のハングル文字に似ている、音韻体系、仮名
遣い、語彙、文法を見てもそれほど古くない書物との指摘あり。
(三) 三国志・ 魏書東夷伝倭人条に、「魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀」と記述され、古代日本には暦がなかった。
私は、上記のような偽書説の論争を知りつつも、ホツマツタヱの研究に没頭し、研究を充実させた段階により、偽書であるか否かを判断できると思って進めて来ました。その甲斐があって、2018年3月で研究歴も満24年になります。その間の研究成果として、ホツマツタヱの1~5アヤ(綾)の解説、全ホツマツタヱの文中の2つの暦の完全解読、ミカサフミの解説、およびフトマニの解説本の発売などがあります。
研究過程よりわかったことは、ホツマツタヱの内容が古代の真実に近いと思える記述が多々確認されたことです。そのため、ホツマツタヱを時代考証する時期が到来したと判断しました。ホツマツタヱの時代考証に当たっては、720年に編纂された日本書紀を、1次判定基準に用いることにしました。また、各部の比較で1書のみに記述されている場合は、優先的に自然の法則などと比較することにしました。是非、「ホツマツタヱ 時代考証への挑戦」を読んで頂けると幸甚です。
その他は、「ホツマツタヱは日本書紀よりやはり古かった 」本をご覧下さい。
吉田六雄
平成29年12月17日 横浜の自宅にて
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最後まで ご愛読して戴き ありがとう ごさいました。
ホツマツタヱは 日本書紀よりやはり古かった本の表紙