ハラミ山麓の古代都市 サカオリの宮(昔のハラの宮)の一日
ホツマの世界 ハラミ山麓の古代都市 サカオリの宮(昔のハラの宮)の一日 New !! 注記、スス暦の西暦年代への換算は、ホームページ「(1)ホツマツタヱ暦学講座」 (2)「日の神(天照大御神)の誕生と新紀年の設立」 を引用しました。
神武天皇が東征する頃の29アヤの記述に、「光重ねる 年の数 一百七十九万 二千四百 七十穂経るまで」がある。この記述は、当時の天の原に存在した暦のスス暦の穂(年)を示すとホツマツタヱに記述されている。それに対しホツマツタヱの1アヤには、「この教ゑ 天の巡りの 三百六十五ゑ 四つ三つ分けて 三十一なり」との記述があり、恰も近代の太陽暦の一年の日数を暗示している記述があった。本研究は、前述のスス暦の記述と近代の太陽暦の相関性が見出せるかとの研究である。その研究期間は約30年にも及んだ。その結果、「スス暦の当時の一日において、ホツマのヱトが駆使されていた。」ことが判明した。詳しいホツマ・ヱトの利用については、下記をご覧下さい。
重複するが、アマテル大御神の頃から、スス暦と云う暦が存続したと云う。だが、その暦について、誰もホツマツタヱを読み解くが解読できずにいた。本書は、その中でも、暦の最小単位である「古代の一日」の長さについて、学術的に解説したホームページになった。また、全体のスス暦やホツマツタヱの暦については、別ホームページのホツマツタヱ暦学講座が詳しい。ご覧下さい。
スス暦
1、現代人はホツマの穂と年を太陽暦の年と錯覚し、古代人を長生きの100数万余歳としていた。
・正しくは、ホツマのスス暦の穂、歳、年は、ホツマ・エトの60分の1のことであった。
・そして、穂を一日の刻み(時計)に利用していた。
・このことより、スス暦と太陽暦との相関が決定的に解明された。「2、(4)式)」参照
(1)スス暦時代の一日の穂数(h)
a、 1~26鈴の範囲(h1)
〇 4- 39 天の原 十六穂居ますも ひとひ(一日)とぞ
(訳)アマテル神、ヲシヒトの御世の一日の単位は、16穂であった。
b、27~50鈴の範囲(h2)
〇21- 64 これにより アヱよりヤヱの 中五日 守お離れて
(訳)皇孫のニニキネの御世の27鈴以降、一日の単位が、2日で16穂になっていた。(2倍暦に変化)
(2)太陽暦の1年の日数 (d)
(3)太陽暦の経過の年数(T)
(4)スス暦時代のホツマツタヱに記述の穂数、または、大きい暦数字の穂(H)
式
・H = h × d × T
3、スス暦の一日の単位が、近代の太陽暦で証明される(国民の新たな常識の照明) New !!
1~26鈴の範囲
〇・アマテル神、ヲシヒトの御世の一日の単位は、16穂であった。
この御世の21鈴~26鈴間には、たまたま「弥生朔日」を記述する下記の二つのスス暦の記録がある。この二つの記述について、先ず、スス暦の大きい数字の「穂」に換算する。次に、スス暦の一日は1日当たり16穂のため、大きい数字の「穂」を1日当たり16穂で割り算し、近代の太陽暦の年日を求める。そして、二つの暦日の記述は、同じ「弥生朔日」のため、年数の経過年の差はあるが、日数の差は0日である。そして、今迄1日当たり16穂と想定して計算して来たが、今回は一日当たりの穂数を検証するため、一日当たりの穂数を変動、または、可変させる。その結果、1日の穂数(X)が「15穂<X>17穂」の条件をクリアした場合は、スス暦の1日の穂数が16穂であった。また、正しいかったことになる。なお、近代の太陽暦で計算するため、1年の日数は、365.2422日を借用した。
スス暦の暦日の記述 大きい暦数字の穂(H)
6- 1 二十一鈴百二十六枝年サナト 弥生朔日 1207618穂
21-1 二十六鈴 十七枝二十三穂 弥生初日 1501043穂
穂の差 1501043穂 - 1207618穂 = 293425穂
式
293425穂÷16.067穂/日÷365.2422日/年=50年と0.477913114日
答え
二つの弥生朔日の誤差 0.477913114日の場合
一日の穂は、16.067穂と計算される。
結果
スス暦の二つの暦日の記述は、1日16穂として、運用されていたことになる。思い起こせば、これまでのホツマ研究者は、ホツマ文「天の原 16穂居ますも 1日とぞ」を「十年一日の如し」に準えて、「10年16日の如し」と述べていた。だが、意に反し、『アマテル神の世は、ホツマ・エトの数えで「1日を16穂」数えていた』ことが証明されるに至った。
27~50鈴の範囲
〇・皇孫のニニキネの御世の27鈴以降、一日の単位が、2日で16穂になっていた。(2倍暦に変化)
24- 6 時二十九鈴 五百の一枝 三十八(穂)如月 朔日
27- 41 四十九の鈴の 九百十一枝 初穂キアヱの 初三日
この二つの暦日の記述を上記と同様に検証すると、
結果
スス暦の二つの暦日の記述は、1日8穂に対し「8.0002855穂」が求められる。
その結果、1日当たり8穂、2日で16穂で運用されていたことになる。
式の詳細は、省略する。
関連ホームページ
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2、条件