神武天皇が生まれられた京都下鴨茂神社、その境内を南北に流れる瀬見の小川
ホツマの世界 賀神武天皇が生まれられた京都下鴨茂神社、その境内を南北に流れる瀬見の小川 New !! 注記、スス暦の西暦年代への換算は、ホームページ「(1)ホツマツタヱ暦学講座」 (2)「日の神(天照大御神)の誕生と新紀年の設立」 を引用しました。
平成17年2月1日作成 ホツマツタヱ史学研究会 吉田六雄 関連ホームページ
天照御大神の生まれ日、神武天皇元年の太陽暦の西暦への換算算出方法
1、日の神(天照大御神)の誕生と新紀年の設立 をクリックして読む 2、ホツマツタヱのスス暦、アスス暦は、縄文、弥生、および、古墳時代に該当した をクリックして読む 3、ハラミ山麓の古代都市 サカオリの宮(昔のハラの宮)の一日
をクリックして読む 神武天皇の誕生の地~神武東征~生涯年齢
4、神武天皇が生まれられた京都下鴨茂神社、その境内を南北に流れる瀬見の小川をクリックして読む 5、神武天皇の生まれ地は宮崎でなく、 京都の下賀茂神社 または 滋賀の多賀大社であったをクリックして読む 6、日向国より大和の饒速日の国に入られた神武天皇と日本国の誕生伝説をクリックして読む 7、127歳まで生きたとする神武天皇の根拠はあるか 原因は改訂古代暦の誤解釈だったをクリックして読む 8、神武天皇の実存説と証明される2倍暦の終焉 をクリックして読む 箸墓古墳はヤマトモモソ姫の墓、ヤマトタケの誕生の秘密
9、箸墓古墳の築造年代が、日本書紀暦、ホツマツタヱ暦より判明する をクリックして読む 10、ヤマトタケは西暦235年12月に生まれていた。 をクリックして読む 賀茂御祖神社
賀茂御祖神社(下鴨神社)は世界遺産に登録されていて、ご参拝された人達が多いと思う。一の鳥居を抜けて境内に入ると参道の両脇にほんのりとしたニレ科の並木林が続く。しばらく歩くと参道の両側に川が見える。川の両側は、芝に囲われていた。川幅は、約90cm程度であろうか。川面は「水面に太陽の光があたりキラキラと照り返しており、綺麗な浅瀬の川」であった。
瀬見の小川 (1)
ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例しなし。
鴨長明
この文は鴨長明の有名な「方丈記」の一節である。
川の流れは「社」方向より「一の鳥居」方向に流れている。そのために今来た参道を戻ると、右手に林が切れ「瀬見の小川」の流れを望めることができた。小川に架かる「小さな太鼓橋」の中央より「小川の流れ」方向を眺めると、ニレの林の木が約2mの間隔になっていた。その中央部を「小さな瀬見の小川」が流れていた。この川の景色がなんとも云えない余韻を残した。この「瀬見の小川」に古代より多くの人たちが心を休め、ある人は「和歌」を歌い、ある人達は「・・・」と思うと「悠久の歴史」を感じてしまう。
そんな「瀬見の小川」について、ホツマツタヱ文献(直訳文)は、 10アヤ(紋)45~46 勅り 賜ふヲシテは 子守神 瀬見の小川に 禊ぎして 茅の輪に糺す 水無月や 民永良うらふる 祓いなりけり 瀬見の小川 説明版(2)
今までホツマツタヱ文献に記載の「瀬見の小川」の言葉に気づいていたが、糺すの森に「瀬見の小川」、賀茂御祖神社(下鴨神社)があるとは思ってなかった。そのためにホツマツタヱ文献にも記載の「瀬見の小川」を急遽、探索することにした。
また、鴨長明とホツマツタヱ文献の年代が違うために、「ホツマツタヱ文献」には鴨長明のことは記載されてない。だが鴨長明の生い立ちや和歌を拾っていくと、ホツマツタヱにゆかりのある人だと云うことがわかってくる。
鴨長明の河合神社 (1)
鴨長明の生まれは、京都・賀茂御祖神社(下鴨神社)の「糺す森」の中にある「河合神社」の神官の家になる。幼少より和歌にすぐれ「後鳥羽院」に見出され、宮廷歌人として活躍したとのことである。
石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たずねてぞすむ
長明 河合神社のご由緒 (2)
河合神社・ご由緒 「河合神社と鴨長明」
上の写真、本人の撮影になる。
ご質問、ご意見などを受け付けております。ご気軽にどうそ゛!!
ヤフーメールアドレス : woshite@ymail.ne.jp
最後まで ご愛読して戴き ありがとう ごさいました。 (以上)