神武天皇の年齢が、なぜ127歳だったのかとの疑問を解く
ホツマツタヱ 40アヤ(綾)
まえがき
このホームページは、ホツマツタヱについて掲載しております。
ホツマツタヱ
ホツマツタヱは「物部家」に伝わる古代の文献であり、序(法定文)、1~40アヤ(綾)からなり、全文は約1万行、約10万文字のヲシテで書かれた大作です。
分野の紹介
ホツマツタヱの文章より層別すると、暦学、天文学、火山学、文献考古学、考古学、言語、国語、文学、宗教、民俗、食物、植物、動物、鉱物、刑法、建築、乗馬などあり。
文字
ホツマツタヱでは、文字のことをヲシテて云い、神代文字の一種が使用されている。下記の表は、ホツマツタヱより文字を真似て作成した「安聰字体似ヲシテ表(案)」です。ご覧下さい。
暦学
ホツマツタヱには、二つの暦が存在する。
一つ目は、スス暦である。暦の記述初めは、アマテル神の両親であるイサナギ、イサナミの御世の21鈴からになる。
二つ目は、アスス暦である。日本書紀と対比すると、神武天皇の即位37年前のアスス21穂からになる。
暦の特徴
スス暦には、太陽暦に換算可能な文章が残されていた。アスス暦には、不知火の現れ月について、自然科学で是正できるの記述が残されていた。
近代の旧暦8月1日に現れる不知火について、「景行天皇が見た日は、なぜか5月1日である。」自然現象と景行暦の3ヶ月のズレは、2倍化暦の景行暦が原因であった。簡単に再現するためには、経過日数を2分の1にした暦(1倍暦)を作成。その時、左列に2倍化暦、右列に1倍化暦を併記し計算すると9月1日が計算する。更に、精密に計算するには、Webの新旧暦対照表を借用して、旧暦に5月1日を代入⇒新暦に変換⇒2分の1暦に変換⇒変換された月日⇒新暦に代入⇒旧暦に戻す⇒旧暦の8月1日に近似日7月27日が再現する。このことがわかると、古代暦の神秘がわかって来る。
研究講座
火山学
ハラミ山の噴火
孝霊天皇の御世に、「ハラミの山の 良き草も 五百 年前に 焼け失せし」が残されていた。そして、「産業技術総合研究所(茨城県つくば市)」が、近年、新富士山地質図を更新していた。このことより、ハラミの山の噴火を西暦に換算できる可能性か発見された。
言語
難語の解説
ホツマツタヱには、現在語で解説できない、オノコロ、イトリ、ウツホ、ミスマル、イクラムワタなどの言葉を目にします。
ゾロ(イネ)の記述
ホツマツタヱには、イネの記述が残されている。歴史博物館は、近年、稲作開始の論文を発表している。この二つの年代を対比すると、ホツマツタヱの解読された年代が西暦と比較できることが判明する。
本の紀年
ホツマツタヱには、ゾロ(イネ)の記述の前に、天照御大神(アマテル神)の誕生年の記述が残されている。そして、上のホツマツタヱの解読された年代より、日本の紀年を神武天皇⇒天照御大神に変更が可能になる。
文献考古学
ホツマツタヱ ゆかりの地を訪ねて
平成15年~5年間に渡り、北は青森~南は鹿児島までのホツマに関連する神社、史跡を回って来ました。特に、思い出の深い神社は、酒折宮、天真名井、岩木山神社、塩釜神社、勿来、伊雑宮、鵜戸神社、吾平山上陵、霧島神社、高千穂峰、三輪山の大神神社になります。
ホツマツタヱのあゆみ
50年前、ホツマツタヱ再発見
故松本善之助先生がホツマツタヱにかけた情熱を遺作である「秘められた日本古代史 ホツマツタヱ」本より知ることができます。その熱意は全国のホツマファンの心を捉えて離しませんでした。クリック 読む。
ホツマの初論文
歴史愛好家は、月刊誌「歴史研究」をご承知かと思いますが、第474号(平成12年11月号)の特集は、欠史八代の謎でした。その特集にホツマツタヱを題材にした 「暦法で考える欠史八代」の原稿が、難関を突破しめでたく第2位で掲載されました。ホツマ関連では、初めての偉業です。
上記の論文は、国会図書館でも閲覧可能です。
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ホツマツタヱ史学研究分野
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