古代暦の誤解釈により神武天皇127歳の薨御とされていた

古代暦の誤解釈により神武天皇127歳の薨御とされていた



神武天皇の薨御歳が、127歳となった原因

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      8、神武天皇の実存説と証明される2倍暦の終焉  をクリックして読む


                             ホツマツタヱ研究  吉田六雄

 神武天皇が生まれ、皇太子、天皇に即位された時の暦は、スス暦である。スス暦は、アマテル神が生まれる以前より続く暦である。

 そして、このスス暦は、アマテル神、ヲシホミミ、ニニキネと続く天神の頃において、ニニキネの御世にスス暦が改訂されていた。

 改訂の内容は、1日をホツマヱトの数で数えていたが、16ヱト数えるところを8ヱトに変更されていた。

 だが、後世の人は、1日のヱト数が16⇒8ヱトに変化していることを知らず、神武天皇の歳が従来の2倍の経過日数になっていることをそらんじてなかった。

 このため、神武天皇の63.5歳が、2倍され127歳とされていた。そして。アスス暦、日本書紀に127歳が記述されていた。

間違う原因の計算例

 神武天皇の年齢の経過日数

  a、アマテル神の頃 1日を16穂のヱトで数えていた

    そこで、スス暦当時の経過数 仮に、1000穂とすると、 

    日数の計算は、1日を16穂で数えていたため、1000穂÷16穂/日=62.5日となる。
 

  b、皇孫ニニキネの頃 1日を8穂のヱトで数えていた

    そこでスス暦当時の経過数 仮に、1000穂とすると、

    日数の計算は、1日8穂であり、上の16穂の経過とすると、日数が2日になっていた。

    すると、1000穂×2倍の2000穂÷16穂=125日となる。
 

  c、神武天皇の127歳とされた原因                   

    神武天皇に即位する前においても、歳、年数をスス暦のヱト数で記録されていた。

    だが、1日とヱト数の関係は、1日8穂と誤解していたため、ニニキネ当時の2倍暦が踏襲された。

    そのため、神武天皇の年齢は、63.5歳でなく、127歳が、アスス暦に記録されたことになる。

    そして、ホツマツタヱでは、神武天皇~12代景行天皇の御世まで続くことになった。



暦学

 ホツマツタヱには、二つの暦が存在する。

 一つ目は、スス暦である。暦の記述初めは、アマテル神の両親であるイサナギ、イサナミの御世の21鈴からになる。

 二つ目は、アスス暦である。日本書紀と対比すると、神武天皇の即位37年前のアスス21穂からになる。

暦の特徴 

 スス暦には、太陽暦に換算可能な文章が残されていた。アスス暦には、不知火の現れ月について、自然科学で是正できるの記述が残されていた。

 近代の旧暦8月1日に現れる不知火について、「景行天皇が見た日は、なぜか5月1日である。」自然現象と景行暦の3ヶ月のズレは、2倍化暦の景行暦が原因であった。簡単に再現するためには、経過日数を2分の1にした暦(1倍暦)を作成。その時、左列に2倍化暦、右列に1倍化暦を併記し計算すると9月1日が計算する。更に、精密に計算するには、Webの新旧暦対照表を借用して、旧暦に5月1日を代入⇒新暦に変換⇒2分の1暦に変換⇒変換された月日⇒新暦に代入⇒旧暦に戻す⇒旧暦の8月1日に近似日7月27日が再現する。このことがわかると、古代暦の神秘がわかって来る。

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