隠れた古代を見る 岩木山神社

隠れた古代を見る 岩木山神社

 古代にスサノオ(ハナキネ)が治めた出雲国。その長子の初代大物主のオオナムチ(クシキネ)は、国譲りにより出雲国より青森の日隅国に国替えとなった。現岩木山神社は、その後オオナムチが国譲り後に治めた国庁になる。そのため、その後の出雲国は、天孫が治める国になった。また、奈良に鎮座する大神(おおみわ)神社は、オオナムチの長子の第二代大物主のクシヒコ~子孫の第六代大物主のワニヒコを祭る神社である所から、国譲り後も大物主の官職はオオナムチの子孫に引き継がれていた。そのため、本物の出雲を捜しに岩木山神社に出かけた。また。別途、奈良の大神神社にも出かけた。出雲大社には行ったことがない。

岩木山と岩木山神社

 津軽平野より望む 岩木山

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 岩木山神社楼門

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 岩木山 神社拝殿

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 岩木山 神社拝殿と注連縄と3俵の米俵

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 岩木山神社 ご由緒

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ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く   

                             平成19年9月13日作成

 

  岩木山神社の顕國魂神(うつしくにたまのかみ)に 隠れた古代を見る  

                  ホツマツタヱ史学研究会    吉田六雄

 

岩木山神社を訪ねて  

 青森県弘前市百沢寺沢(旧中津軽郡)に津軽富士と呼ばれる岩木山がある。

 その岩木山に岩木神社が鎮座している。ここの祭神はホツマツタヱ文献に記載されている、ソサノオの五男三女の内の三男・クシキネであり、ホオナムチであり、ウツシクニタマと云う人である。

たが岩木山神社のご由緒・北門鎮護・岩木山神社には、名前クシキネやオホナムチ名での記載はない。記載のご祭神は、「顕國魂神・うつしくにたまのかみ」のみが記載されている。この岩木山神社のご祭神である、顕國魂神の謂われを知るためには、ホツマツタヱ文献を読んで戴きたい。また岩木山神社には他4神(柱)の多都比媛神、宇賀能賣神、大山祗神、坂上刈田麻呂命も祭られていた。

今回のホツマツタヱ「ゆかりの地」の歩くは、俗に云われている出雲系の神々を探訪することにし、地元・横浜市の郊外より始めた。

 

横浜郊外 杉山神社

 横浜市の郊外にあたる緑区や都筑区には、全国的に点在している杉山神社が数多く分布している。私の家の半径5キロ附近を見ただけでも12ヶ所の神社がある。その杉山神社の祭神は、「ソサノオ」や「イタケル・五十猛」である。なぜ横浜市の郊外に多いのか。杉山神社に関する書物で調べたことがある。その物の本の説明は、緑区や都筑区の前身である「橘樹郡に伊勢地方より開拓の人々が横浜に移動してきた。この開拓の人々が伊勢で祭っていた神が、ソサノオやイタケル・五十猛であった」と書いてあったと記憶している。

次に出雲に探訪すべきと思ったが、足が向かない。その向かない理由は、オホナムチの神上がり地にあった。そこでホツマツタヱ文献に記載のオホナムチの神上がり地が、岩木山神社と記載されているため、青森県弘前市に出かけた。

 

青森・八甲田山、十和田湖

 羽田空港から青森空港に着いたのは8月9日である。天気は良好で、初めての青森の旅である。今回の探訪の予定コースは、8月9日青森空港→八甲田山→十和田湖→8月10日奥入瀬渓谷→黒石→岩木山神社→弘前→8月11日浪岡→青森・善知鳥神社→青森観光物産館→青森空港である。

空港の外で予約してあった「日産のレンターカー店」で、サニーを借りて出発した。最初の目的地は、八甲田山である。青森空港から八甲田山へは、東南東の方角で約15~16㎞である。道中は緩やかな上り坂で、周りは草原である。

約30分くらい走ったところで、休憩も兼ねて広い牧草地の中にある食事処でお昼とした。その食事処の前に設置された水道水を飲んだ。驚いたことにこの「水道水」は、今まで飲んだことのない「旨いお水」であった。そして食事もそぞろに八甲田山へ急いだ。

(注)話は脱線しますがこの「旨いお水」について、横浜に帰ってからインタ   ーネットで捜したところ、八甲田山系より湧き出たお水で、「青森市上下水道部」で発売していた「ブナの雫」の源泉であった。現在、「ブナの雫」は、我が家の愛飲水となっていった。

 ロープーウェイに乗車するのは、久しぶりである。八甲田ロープーウェイの麓駅より搭乗し、山頂駅までは約10分程度であった。山頂駅から見る遠くの景色は、青森市であった。その青森市が微かに雲の間より望め、一時仙人になったかと思えるほど、現実と違った爽快感を得た。それにしてもここが八甲田山頂かと思ったが、田茂萢岳と云うとこらしい。「八甲田山」には「八甲田山」はなく、八甲田連峰と云うらしい。連峰の主峰は、1,585mの大岳の様である。八甲田を下山し、今夜の宿である十和田湖畔に向かった。そして次の朝、奥入瀬渓谷に向かう。

 

奥入瀬渓谷

 旅に出ると良く早朝散歩に出かける。今回の散歩は、その十和田湖畔である。まして朝日を浴びた散歩になった。だが東北の八月の朝は、気温20度前後で少し肌寒かった。その後ホテルで軽く朝食をとり、早々に最初の目的地の奥入瀬渓谷に向かった。奥入瀬渓谷は皆さんもお出かけになってご存じのこと思うが、十和田湖湖畔の「子の口」~東北東方向に「焼山」までの約15kmも続く渓流であった。だが「渓流」の言葉より連想する私の思いは、山間や高低差がある渓流と思ってきたが、なんと「穏やかで緩やかな流れの渓谷」であった。それにしても途中の「寒沢の流れ」や「阿修羅の流れ」が、奥入瀬渓谷を印象深くさせてくれた。もう少し渓谷を見たい気もあったが、黒石→岩木山神社へと先を急いだ。岩木山に近づくに連れて青森空港で借りた、レンターカーにも慣れて快調である。そして初めて見る岩木山は、驚くほど綺麗な神奈備山である。その岩木山も弘前市からの距離は、約16~17kmである。途中「りんご園」を両側にして、岩木町の県道を岩木山へと走った。そして十和田湖湖畔を出発してやっと14時過ぎ、この旅の目的地の岩木山神社に到着した。

 

岩木山神社の隠れた古代を見る

 岩木山神社の参道の入り口は、大きな砂利敷きの広場になっていた。参道に入ると最初に2段の石段があり、最初の鳥居を抜ける。それから緩やかな登り坂になり、参道の中央は石畳になっており、左右は階段状の道になっている。その階段状は奥行きが約2mくらいで、緩やかなステップ階段になっている。その階段状を登り切ると赤い大きな神社桜門があり、次に赤い拝殿があり、奥に神殿があった。

だが桜門より奥には入れなかった。そのために桜門より覗いて見た。すると岩木山神社の拝殿に大きな注連縄が飾ってあった。その覗いた注連縄の上方にあるものを、ホツマ研究者は「古代の真実」として見落すことができなかった。それは注連縄の直ぐ上方に、平面模型の「米俵」が三俵飾ってあることであった。この「米俵」こそが「大己貴」につながる「満れば欠ける」の「満る」に繋がることを現在に残していた姿であると思えてきた。

この米俵と大己貴の関係については、ホツマツタヱ文献の9-8~9文(直訳文)に確かな記載がある。

 

           ヲホナムチには

   クシヒコを   大物主の  

   代わりとて   事代主と

   仕えしめ    己は出雲に

   教ゆるに    一二三六百八十

   二俵の     ひもろげ数え

   種袋      土は培ふ

   御宝      飢ゑ足す糧も

   蔵に満つ    雨風日照り

   実らねど    あたたら配り

   飢ゑさせず

 

 更にホツマ研究者は見逃さなかった。 一般に拝殿より参拝しただけでは、神殿は遠くて(約20m)、また桜門と神殿の間に拝殿があり見えなかったが、神殿の入り口に「オホナムチの影」を見てしまった。それをはっきり大きく見るために桜門の横手に周り、拝殿と神殿を覗いたがまだ良く見えない。そこで更に進むと「白雲神社」があり、そこの入り口の橋の上から、はっきり見えた。

なんと驚くことなかれ。神殿の入り口の両方の柱に「黄金色の龍」が、それも鴨居の高さまである「大きな龍が二体」である。 また神殿の棟木の至る所に黄金の飾りが外から見られた。私も各地の神社を研究調査に行っているが、「黄金の龍」は初めてである。

 それにしても岩木山神社・神殿入り口の二体の「黄金色の龍」は、現在に「古代」を再現した様なオオナムチの「古代の栄華」の再現である。この「黄金の龍」を見ていると、出雲より津軽に「国譲り」されたオホナムチの心情を思って「古代の栄華」を再現し、祭り続ける津軽の人達の思いやりを感じてしまった。その探訪で発見した岩木山神社の「黄金色の龍」をご覧下さい。

詳しくは、なお「黄金の龍」の全貌は、別途、岩木山神社のホームページが詳しいため、ご欄下さい。

                                   (おわり)  

 

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