ホツマツタヱ 1アヤ 東西の名と穂虫去るアヤ
奈良県桜井市三輪に鎮座するホツマツタヱの前半を編纂したワニヒコ(クシミカタマ)が祭られていると云う神社(本人の撮影)
本殿の正面(本人の撮影)
古代に活躍したオオモノヌシの由来(本人の撮影)
ホツマツタヱ史学研究会 吉田六雄 はじめに この1アヤ(綾)は、ワカ(和歌)姫が、東西の名、穂虫などの謂われをカナサキの翁より習うアヤ(綾)になります。
そして、そのワカ(和歌)姫の名は、成長するに連れ、元のイミ名のヒルコ(姫)→称え名の下照姫→ワカ(和歌)姫へと変遷して行きます。 だが、歴史的に見ると、ワカ(和歌)姫の名の活躍は、元来は9アヤ(綾)以降と出来事と思われ、それが1アヤ(綾)に記述されております。また、年代的に見ても、25鈴(紀元前290年)以後の出来事です。なぜ、1アヤ(綾)に記述されたのでしょうか。
なぜ、このような推測が成り立つかと云いますと、ヒルコ(姫)からの名の変遷を見ますと、1アヤ、9アヤに大人名のヒルコ(姫)書かれてます。それに対し幼名のヒルコ姫の名が、2~8アヤと遅いアヤに書かれております。詳細は、下図を参照方。 このことからもわかるように、和歌の歌人としてアマテル神より賜われたワカ(和歌)姫の名を、ホツマツタヱの前面に立てて、ホツマツタヱを編纂しようとしたクシミカタマの思いが、1アヤ(綾)になり、「それ和歌は ワカ(和歌)姫の神」の記述に繋がったと思われます。
更に、1アヤ(綾)には、ヒルコ(昼子)姫より遅く生まれた、弟のワカヒト(オン神)の食事と年齢や末の弟のハナキネが、ワカ(和歌)姫から和歌を教えてもらう場面が記述されており、このことは、明らかに、後世に編纂されたことを示していると思います。 また、奇しくも、9アヤ(綾)は出雲でクシキネ(初代モノヌシ)が、天下泰平を謳歌していた頃になり、ホツマツタヱの原文は、25鈴(紀元前290年)頃に整理されたことが推定されるようです。 神代の神は、天照大御神と呼ばれるように絶対神を想像されるが、ホツマツタヱの神であるアマテル神は、イミナをワカヒト(若仁)と呼び、実態は、天皇と同じように人間である。また、天神が子孫が途絶えないように、妃を13人も持っておられた。このように話は尽きないが、日本人の必須と思い、また、編集者の無駄な意見を排除し、ホツマツタヱに記述される言葉で真実を解説した。
発売日2020年12月1日
A5 約200頁
5,000円(本 の販売代金)
2,280円(CDの販売代金)
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ホツマツタヱ史学研究会
ホツマツタヱ 1アヤの解説に当たって
ホツマツタヱの編纂時の疑問点 アマテル神の姉である「幼名・ヒルコ姫」は、後に「出世名・ワカ姫」に改名されるが、1アヤ~9アヤまでの順序を見ると、「出世名・ワカ姫」の名が1アヤに記述され、「幼名・ヒルコ姫」の名が3アヤから記述されている。この順の書き換え時期を調べると、スス暦の25鈴の初代大物主のオオナムチ(クシヒコ)の頃になる。このことから、ホツマツタヱは、文学性を高めるため、25鈴以降に書き直されたと思われる。
1アヤ ヲシテ本文、カナ字(赤文字)と解説
ホツマ・40アヤ(文)の解説
ご案内 ホツマツタヱの解説を読みたいが、40章すべてを読むのは大変と思う人の多いのでは。その人のために、興味の多い神話の奉納文~7アヤについて1冊の本にまとめた。