四倍暦説、それは一と月の25~30日を無視した暦であった

四倍暦説、それは一と月の25~30日を無視した暦であった

本 文

 改3 2020_11_4付

 原文 2020_9_24付

題名

  古代の四倍暦の議論は、正しいか否かの検討

 ホツマツタヱ史学研究会 吉田六雄

所見

 古代天皇長寿の謎(貝田禎造著:昭和60年12月初版)には、二代綏靖天皇~十六代の仁徳天皇までは、四倍暦であったと提案されていた。その四倍暦の元試料となった「天皇紀別の月別日付分布図」の日付の件数について、1995年頃に調べていた。その時の私の所見は同じ16日~30日内において、日付の有無、件数の多少により、旧暦を基にした四倍暦、または、太陰暦(太陰太陽暦の意味)に仕分ける手法は、暦法、古代の遡り年代の解明手法に馴染まないとして来た。その事例を一つ挙げると、初代神武天皇は二倍暦、七代孝霊天皇は四倍暦とされているが、16日~30日内の件数は6件と1件の僅かな違いである。

過去の調査結果

天皇紀別の月別日付分布図の日付

日本書紀

 図中の天皇は、初代神武天皇~二十一代雄略天皇までを取り上げていた。その図中には、日付の枠内に「●、〇、□、■、△、▲」の印がある。このマークは、日本書紀より日付を読み取りされた符号とのことでる。その符号は、1~30日内に分布しており、特に各天皇の1~15日内には多くの符号があった。だが、15人中7人の16~30日内には符号が無かった。それに対し残りの8人の16日~30日の日付枠内には、「●、〇、□、■、△、▲」の符号が記録されていた。

 具体的な天皇と件数は、7代孝昭天皇1件、8代孝元天皇1件、10代崇神天皇10件、11代垂仁天皇2件、12代景行天皇5件、13代成務天皇5件、14代仲哀天皇6件、15代応神天皇6件、神功皇后件2、16代仁徳天皇9件、17代履中天皇13件、18代反正天皇14件、19代允恭天皇14件、20代安康天皇15件、21代雄略天皇の18件があった。

 その中でも貝田氏は、2代綏靖天皇~16代の仁徳天皇までを一ツキ15日、一ネン半年として、4倍暦の対象とされていた。また、17代~21代までは二倍暦とされていた。

ホツマツタヱ

 参考に、ホツマツタヱも同様に16日~30日の日付も調べていた。ホツマツタヱの天皇の数は、初代神武天皇~十二代景行天皇までの記録になる。その天皇までの11人中5人は日付が無かった。だが、残りの6人の天皇の7代孝霊天皇1件、8代孝元天皇1件、10代崇神天皇10件、11代垂仁天皇5件、12代景行天皇に3件の日付の記録されていた。この期間は、貝田氏が四倍暦とされる範囲である。

 前述説明の基になる具体的な16日~30日の日付について、日本書紀、ホツマツタヱと区分して「表-1」にまとめていた。詳細は、下表の「表-1」をご覧下さい。

表-1 日本書紀暦、ホツマツタヱ(アスス)暦の16~30日の符号件数

代名 天皇名   日本書紀  ホツマ

        16~30日  16~30日(私見)、1~30日と推定(〇印)

初代   神武天皇   6     1         〇

2代  綏靖天皇   0     1         〇

3代  安寧天皇   0     0

4代  懿徳天皇   0     0

5代  孝昭天皇   0     1         〇

6代  孝安天皇   0     0

7代  孝霊天皇   1     0         〇

8代  孝元天皇   1     2         〇

9代  開化天皇   0     0

10代  崇神天皇   10    10         〇

11代  垂仁天皇   2     5         〇

12代  景行天皇   5     3         〇

13代  成務天皇   5     ―          〇

14代  仲哀天皇   6     ―          〇

15代  応神天皇   6     ―          〇

    神功     2     ―          〇

16代  仁徳天皇   9     ―          〇

17代  履中天皇   13     ―          〇

18代  反正天皇   14     ―          〇

19代  允恭天皇   14     ―          〇

20代  安康天皇   15     ―          〇

21代  雄略天皇   18     ―          〇

貝田氏のデータの取り扱い方法

 貝田氏は、1~15日の件数が約90数%と圧倒的に多いため、確率論や統計学で用いられる正規分布を駆使し、「1ヶ月は30日であった」が正しいか否かを検定されていた。そして、分析結果、「崇峻天皇紀前では、一ヶ月が十五日の暦が用いられていると考えても間違いないことがわかった。(P106_4~5行目)」とされた。そして、このことを論拠として、「一ツキ15日、一ネンが半年」導かれて、四倍暦を発表されていた。

氏の説の欠点 (改1_追加)

 氏は、日本書紀暦の暦日がどのような暦法であったか不明であり解読されてなかった。また、日本書紀より暦法を捜した形跡がなかった。この暦法の未解読について、一例を述べると、「100m離れた所に、王冠の形状したものが見えた。あるものは、まさに王冠と思われ、ある物は一方の王冠の形状がかけていた。あるものは、両端が欠け中央の王冠みたいなのが残っていた。近寄って見ると、お菓子のケーキであった。」王冠の形状を1ツキの1~30日に例えたが、残された記述が何なのか、今回は、日本書記の暦であり、どのような暦法が隠されているかを判明してない、正しい条件が判明してないまま、勝手に、正規分布を使用していたことと同じになる。

 このことは、日本書紀に記述されていた暦日の1~30日の件数を、正規分布させる条件の未解明、引いては、日本書紀の暦法の条件も解明しないまま、確率論や統計学の正規分布論を用いて危険率(U0)を計算され、16日~30日の暦日が存在したか否かを判断されたことに繋がる。恐るべきは、歴史の記述より暦法の条件を無視された正規分布の使用であった。

簡単な正規分布の説明 (改1_追加)

工業製品の仕上げ精度にみる正規分布

 この理論の本格的な説明は専門家に任せるとして、正規分布になるには条件が特定している場合である。

 例題として、ある工業製品において、直径100mm、公差±0.15の品物を500個切削した場合の外径の精度で説明して見たい。

 更に、外径の仕上がり精度のバラツキ要因を考えてみると、品物の硬度の違い、切削機械の回転数の違い、切削バイトの硬度、刃先角の違い、切削油の有り無し、また、劣化状況の違いなどがあり、直径100mm、公差±0.15の品物でも、外径の精度は一定でなくバラックのが通常である。このように条件が判明したものでも、外径の仕上げ精度は、直径100mm公差±0を中央値として、±0.15の範囲で分布するとしている。だが、ある品物は、公差±0.15を外れるものが出現するとした考えが正規分布の一般的な考えである。 繰り返すが、正規分布を論じる場合は、条件が判明している場合に限られるのである。

氏の四倍暦の根拠は学問の乱用である。 (改1_追加) 

 先に、「正規分布を論じる場合は、条件が判明している場合に限られるのである。」と述べたが、日本書記の暦日の記述は、編集者が月の前半の1日~15日の出来事だけを多く記述しことも考えられ、また、後半は行事が無かったことも考えられ、このことに氏は配慮が足りなかったことも考えられる。氏の具体的にその危険率を詳細に見ると、2代綏靖天皇~32代崇峻天皇までのa件数は309件、bの件数は279件である。279件の危険率U0は、U0>2.57を超え、6.73である。そして、1月30日でなかった(1ツキは15日)と結論されていた。279件の全体件数に対する占有率率は90.3%であり日本書記が15日以前に偏って編集されていたことがわかる。

 一方、33代推古天皇~41代持統天皇までを見ると、aの1216件、bの754件である。この場合の754件の危険率は、U0>2.57を下回り、1.83である。この場合は、1月は30日と証明されるとされていた。危険率を計算しなくても、占有率の62.0%を見ただけでもわかる。

 このような、統計学の運用の仕方を悪用されて、恰も、無視、抹消した残りの日付(1ツキは15日)より四倍論の論文を発表されていた。このことは、滑稽な論文であり、最早、小説に相当すると考えられる。

ひと月の暦日の件数は、正規分布が使用できるか  (改2_追加)

 ひと月の日数は、1日~30日とした場合、一般的に見ると、平均値(中央値)は15日である。分散(±3σ、バラツキ幅)は、±15日である。一方もひと月を1日~15日とした場合、一般的に見る平均値(中央値)は、7.5日である。分散(±3σ、バラツキ幅)は、±7.5日である。ここまでは、統計学として問題ない。 そこで、ひと月の日数と正規分布の関係を見ると、ひと月を1日~30日とした場合、平均(15日)の μは、下図では0点の位置になる。また、分散(1日~30日)の± 3σは、下図の両端になる。ひと月を1日~15日とした場合、平均(7.5日)の μは、下図では0点の位置になる。また、分散(1日~15日)の± 3σは、下図の両端になる。

seibunbu

 だが、問題点は、日本書記の古代天皇の記述には、1日~15日を以外に、16日~30日の記述が残されていることである。具体的には、神武天皇の記述には、16日、20日、23日、24日、27日。7代孝霊天皇、8代孝元天皇、9代開化天皇の記述には27日。10代崇神天皇には、16日、19日、20日、23日、24日、26日、28日が記述されている。他天皇は省略。

 そこで、ひと月を1日~15日とした場合において、16日~30日を正規分布に描かせるとなると、上図の+3σを大きく外れ、+4σ~+9σの範囲になるようだ。このよう範囲のプロットが、統計学の正規分布を語るには適正であろうか。況して、ひと月の日数の確定になんの意味があるだろうか。(改3_表追加)

seibunbu

私が考える歴史家、暦法家の宿命

 日本書紀、ホツマツタヱなどに記述される日付は、無視、抹消は御法度である。そして、その全日付を網羅する件数を用い、分析し、または、日本書紀、ホツマツタヱなどの内容より、史実を見出し、このことを根拠に古代に遡る年代を探究することに尽きるようである。

 現実には、日本書記には記述がないが、ホツマツタヱには、旧暦の記述を私が調べただけでも、4件も記述されている。特に、不知火の出現が、旧暦の5朔は、自然科学より見てただしくない。江戸時代以降の記述は、旧暦の8朔であることからも証明される。このことが、歴史の探究であろう。

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